松代への旅(5)
「蔵(くら)はんと、こないにして朝までいっしょに眠ってられるあもうと、躰の芯まで安心しよるんよ。わかる?」
しばらく余韻をたのしんでいた奈々(なな 18歳)が、平蔵(へいぞう 40歳)の休んでいるものをなぶっていた。
j昼間の暑気が消えないので、むき出しのままにしている尻を掌でなぜてやりながら、
「奈々のおかげで若返る。奈々はわれの宝だ。寂しい独り寝をさせてすまないとおもっておる」
「わかってるって---ときどき、こうしていてくれはったら、ええの」
平蔵のものが奈々の手の中でよみがえってきた。
翌日、jまず、三学院(金亀山極楽寺)に詣でた。
宿から1丁(900m)も歩かなかった。
新義真言宗の寺としった奈々とお秋(あき 19歳)が口をあわせ、
「うちらの村を領地してはる高野山はんや」
2人は紀州の貴志村の生まれであった。
平蔵は4年里貴(りき 逝年40歳)ときたことがあることは、あえて奈々に告げなかった。
いくら里貴とのことは悟っているつもりといっても、聴けば気にならないわけではあるまい。
(とげ)となって、こころをちくちくと傷めないとはいえない。
しらなればこだわることもない。
だから、極楽門をくぐるときにも黙っていた。
里貴は前夜に閨(ねや)で達した極楽を、その夜もねだった。
そう口にすることで男のここをときめかせるほどに、里貴は成熟していた。
【参照】2011念3月8日[与板への旅] (4)
(蕨宿・三学院極楽寺の本堂と三重塔)
「せやけど、大きなお寺はんやなあ」
お秋の嘆声iに、ちょうと離れて供従ていた百介(ももすけ 21歳)が相槌をうったので、おやっと感じて振りかえると、照れたように赤面した。、
「そうか」
合点がいったが黙視することにした。
(若い者同士、なにがあっても不思議はない)
この広大で豪華な伽藍は、檀家の合力でできあがっている。
中には、血と汗で稼いだお宝を寄進せざるを得なかった者も少なくはなかったかもしれない。
70年前に大火で焼けたというが、関東11談林の体面は復活していたと平蔵は聴いていた。
(いまは於芳(ゆき)として還俗している月輪尼(がちりんに 24歳)は、飢饉で百姓たちが苦しんでいるのに僧侶たちが手こまねいていると怒り、本山・長谷寺にそむいた)
奈々にその経緯は伝えてはいない。
六地蔵に賽銭をあげ、しゃがみこんで合掌したまま奈々が長いこと動かなかった。
(三学院極楽寺境内にある六地蔵)
あとで参道の入り口の茶店〔満寿屋〕で甘いものをめいめいで注文したとき、奈々に何を祈願したと冷やかしぎみに訊くと、
「うちの2人下の妹、生まれてじきに死なはったん」
初めて聴く述懐に内心、反省した。
(これまで、里貴まかせにしていて、奈々の生い立ちに深入りすることはなかった。これからはとはどき、語らせよう。躰は一つになっているといはいえ、こころを一つにする道も探さねばなるまい)
こんどの旅は、無駄ではなかった---一夜を朝まで共にしただけではなく、奈々が表向きのお茶目ばかりでなく、こころの奥をこぼしはじめた。
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