松代への旅(17)
「三軒の蔵元とも、宝船り雛形はのこされていなかったと申されるのですな」
「さよう---」
松代藩の町奉行所の与力・彦坂主水(もんど 43歳)が否定した。
平蔵(へいぞう 40歳)が問いを変えた。
「昨天明4年の極月、西山あたりの村々の者たちの訴願の村役(おとな)で入牢になったのは、いずれの村の者ですかな?」
「長谷川うじ。江戸表の海野十三はそのことについて一言も触れてはおりませぬが---」
「そうでしょう。われも海野用人どのからは聴いておりませぬ。道中の追分宿、上田宿で訴願のことを耳にしました」
平蔵が問いただしているのは、後世、信濃国水内郡(みのちこおり)西山の一揆として記録されている騒擾(そうじょう)であった。
もちろん、1万5000人もの農民が動いたこの一揆は小さくはなかったが、国中のいたるところで起きた動乱にくらべれば、犠牲者が2人ですんだ珍しいものといえた。
幕府は一揆の首謀者たちを厳罰に処するように布告していた。
「お仕置になったのが2人だけであったと小耳にはさみましたが---」
しぶったような彦坂与力が、他言はしないとの確約を求めたうえ、小声で、
「入牢させている発頭人は、地京原村(現・長野市中条地区)のおとな・清兵衛(せえべえ 50がみ)とその息子・清助(せえさく)です」
「いま、地京原村といわれたか?」
「はい。ここから亥戌(い・いぬ 北西)のかたへ2里半(10km)ばかりのぼっていった谷あいの小郷です」
賊に襲われた3軒の訊きこみは明日にしたいと告げ、平蔵は宿にしている伊勢町の太物あつかいの〔奈良井屋〕加兵衛方の奥座敷へ戻った。
江戸藩邸の用人に、7日ばかりの滞在は本陣や大旅籠ではなくふつうの商店の部屋を借りたいと要望しておいた。
伊勢町は城にも近く、もっとも繁華な通りの一つであった。
3日前の夜、高崎城下はずれの倉賀野で、仁三郎(にさぶろう 30代なかば)から、〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛(ちゅうべえ 40代なかば)の生まれが地京原村と聴いたことと、西山騒動の発頭人が同じ小郷であるのが気になってきたのである。
しかし、襲った3軒の酒造元のもとに忠兵衛の仕業であることを暗示する宝船の雛形を残していないという。
忠兵衛ではないのか?
いや、なんらかの意趣があって雛形をおかなかったか?
平蔵は、店の主人・加兵衛(かへえ 30歳)に部屋へきてもらった。
「ご当主。ここだけの話として訊くのだが、昨年末の西山あたりの村々の強訴(ごうそ)のおりの父子が入牢しているとのことだが、このことについてなにか存じであろうか?」
「長谷川さまは、町奉行所のご衆で---?」
「そうではない。西丸の徒(かち)の頭である」
「徒のお頭さまが、なにゆえに---あっ、17年ほど昔にお江戸のなんとか坂の火付け犯をお縄になされた長谷川さまの---?」
「さよう。父上である」
「失礼いたしました}
亡父・宣雄(のぶお 享年55歳)の令名がこんな遠くの土地にまで伝わり、のこっていることがうれしく、誇らしくもあった。
(慈悲ぶかかった父上なら、ここの事件をどう捌かれたであろう)
加兵衛の態度が改まった。
「西山の米づくり衆の強訴を発頭なさった地京原村・おとなの清兵衛さまは、ここから2丁(200m)と離れていない荒神(こうじん)町の水牢に監禁されておいでです」
加兵衛の言葉づかいも丁寧になり、憂いが顔にでていた。
「水牢---? そのようなものがまだあるのか?」
「おいたわしいかぎりでございます。清兵衛さまの地京原村は、手前どもの屋号になっております奈良井村のすぐ近くの小郷でございまして---」
「奈良井村---?」
「はい。念仏寺村、伊折村とひとかたまりの里でございます」
水牢については、十数年前に京都西町奉行所の与力・浦部源六郎(げんろくろう 中年=当時)から聴かされたことがあった。
腰までの水があり、寝ることもできない拷問牢で、長く入れられていると腰から下がぶよぶよに溶ける恐ろしい場所だといわれた。
あまりにもひどいので、いまは幕府が禁止しているはずであった。
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コメント
昨日の文くばり丈太どんとちゅうすけさんのコメントのやりとりを読んで、おどろいています。
ちゅうすけさんのお体の具合がそんなに憂慮の段階とは、普段のコンテンツからはいささかも想像していませんでした。不明をお詫びします。
どうか、療養専一、早くご回復をお祈りしています。
投稿: 左兵衛佐 | 2012.02.05 04:41
>左兵衛佐 さん
ご丁寧なお見舞い、ありがとうございます。
じつは、余命はあと6ヶ月といわれています。その6ヶ月も、半分以上は点滴ですごすでしょうあから、バソコンに向かえるのはあと1ヶ月あればいいほうでしょう。
なんとか、形をととのえたいとプランを練っているところです。
ご助言、いろいろとありがとうございました。最後までお付き合い、お願いいたします。
投稿: ちゅうすけ | 2012.02.05 07:43