小笠原信濃守信喜(のぶよし)(2)
今日から1両日ほど、メモ形式になることをお許しいだきたい。
というのも11日前から、有明のがん研病院の末期病棟にとじこめられており、あと1週間はこのままと宣告されている。
個室だが、なにぶんにも手狭で資料類が手元になく、書斎から運びこむにも人手が足りないし、手術後のチューブ類をつなかれている躰も動きがおもうにまかせない。
口からの摂取はこの先ずっと不能で、体力もおぼつかない。
せっかくだから中断は避けたいということで、細々とつづけている状態。
碩学・竹内 誠さん『徳川幕閣のすべて』(新人物往来社 1987)からノートに写している、
松平 定信の盟友 田沼 意次側の主要抜擢者
本多 忠籌 巨勢 利啓
松平 信明 小笠原信喜
戸田 氏教 巨勢 至忠
牧野 忠精 中島 常房
加納 久周 大屋 明薫
松平 信道 松下 明永
本多 忠可 本多 行貞
堀田 正穀 山本 茂詔
(色変わり=クリック。個人譜)
疑念は、『徳川幕閣のすべて』の田沼側にあげられている小笠原若狭守信喜(のぶよし 67歳=天明5年 7000石)にまつわるうわさである。
『林陸朗先生還暦記念編 近世国家の支配構造』(雄山閣出版 1986)に収録されていた高澤憲治さんの論文[松平定信の入閣をめぐる一橋治済と御三家の提携]に、治済(はるさだ)が、田沼陣営の情報をとるために、家治(いえはる 46歳)の用取次をしていた小笠原信喜を一つのルートとしていたと明かされていたことであった。
そんなことがどうしておこりえたかを季刊『国史学』(国史学会)に掲載されている高澤さんの関連論文からさぐってみたい。
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