将軍・家治の体調(4)
「奈々(なな 19歳)どの。いい子だから、ほんのしばらく、佳慈(かじ 36歳)の部屋であれの相手をしていてくれないかの」
「あい」
意次(おきつぐ 68歳)の躰からにじみでる貫禄に気をされたかのように、不思議に奈々がすなおにしたがうと、
「銕三郎(てつさぶろう 41歳)。いや、許せ。つい、むかしの口ぐせがでての。しかし、まことに銕三郎にふさわしい名前よのお。与八郎---いや、備前(守)どののこのたびの出府はの---おことが考案したといわれておる鎖帷子(くさりかたびら)を500着、急ぎ発注したいのに、いっかな聞きとどけられないのに業をにやしての直談判のためなのじゃよ。は、ははは」
「500着と申しますと、2000両(3億7000万円)。お奉行がお供をお召し連れになって東海道を1回下り上り往還なさすればその半分はふっとぶ金額ではございませぬか---」
「旅の掛りは旅羽織のはらった埃とともに消え去ってしまうが、鎖帷子は250着がきちんとのこる。役人というのはそこのところがわかっておらぬのじゃ」
意次は力なく笑い、佐野豊前守政親(まさちか 55歳)は、めっきり白いものがふえた鬢をかいて、
「大坂具足奉行からあげた具申書を、大坂城代の祐筆が、うっかり本城の具足奉行へ宛てたのが間違いも元でな。本城の具足奉行は、われらが職務は幕府方の具足についてであって、各藩が勤める定番の士の鎖帷子の掛りまでは面倒見かねると却下したのじや」
大坂の定番には京橋口し玉造口があり、1万石から2万石までの小藩大名から役務が課せられることはも庭番支配の倉地政之助満(ますみ 47歳)から聴いた。
【参照】2012年1月14日~[庭番・倉地政之助の存念] (1) (2) (3) (4)
「しかし兄上。定番を勤めておる小藩が、200着もの鎖帷子で武装するほどの警備の士を配備しているとはおもえませぬが---?」
「さすが銕三郎、よくぞ気がまわった。警備の士はほとんど自藩の藩士ではなく、臨時に雇っている牢人たちである。定雇いといっても20俵ていどで、両刀を帯びるのがやっとというところ。ひとつの口には150着ずつという勘案であった。あとは東西の町奉行所が各100着」
「それで、ご老中に直訴なされた結果は---?」
「半減されたが認可された。〔大和屋〕から指南の職人に大坂へ来てもらい、これから大急ぎでつくりはじめる。ついては、銕三郎からの助言もほしい」
「いま、試しにつくっておりますのは、暴徒対策としての音です---」
「音---?」
「暴徒たちは喚声をあげながら打ちこわしにかりましょう。その喚声にまけない音を発する鎖帷子を考案しております」
「うむ。銕三郎、みごと!」
嘆声を発したのは意次であった。
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