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2012.04.29

先手・弓の6番手と革たんぽ棒(3)

「先ほども予測したとおり、数百人の暴徒による江戸の町中の騒擾は(そうじょう)は、火盗改メのひと組やふた組の出動で片がつくものではありませぬ。先手が10組……束になった300人でも追っつかないでしょう」

「さようでしょうか?」
小津筆頭が疑念をあらわにした目つきで問うた。

「先手の組頭が65歳から下の組は10組がやっとでした。組頭が老齢であっても、組の衆が男ざかりばかりであれば、これから1ヶ月も調練すれば、五分に戦えるほどまでには統制がとれようが、さて、指揮をだれがとるかです。先手を統率するのは若年寄です。いまの若年寄衆の中に、10組300人を指揮できる方がおられましょうや? いかが、第6の組頭どの?」

平蔵(へいぞう 42歳)に訊かれた松平庄右衛門親遂(ちかつぐ 60歳 930石)は、困ったという表情で答えなかった。

「われの推察では、10組はばらばらで暴徒にあたらされましょう。指揮はそれぞれの組頭にまかされる、といえば体裁はよろしいが、じつは上の方々が逃げをうつといったほうが正しいでしょう。細民の暴徒を抑えた経験はだれももっておりませぬからな」

「農民一揆の経験なら---」
口をはさみかけた長谷川組の筆頭与力・脇屋清助(きよよし)に、平蔵が、
「いや、筆頭の意見はもっともなれど、一揆には交渉の相手となる発頭人が向こう側におる。松代で調べてきた。ところが、一昨年の大坂の米問屋の打ちこわしには、相手方に代表がいなかった。とつぜん、自然に発火したような騒擾で、町方や定番衆が代表を探しているうちに、2軒の米問屋がこわされてしまっていたらしい」

持っている情報の量が、平蔵とではケタ違いであった。
脇屋とすれば、平蔵がいつのまに天明4年の大坂の異変を調べたのかしらなかったから、その手まわしのよさに舌をまき、ついていくしかないと観念していた。

参照】2012年1月14日~[庭番・倉地政之助の存念 ] () () () () () () 

「ところで、6番手のお頭に折り入ってのご相談があります」
松平親遂が夢からさめたように緊張してのりだした。

「革たんぽつき樫棒が納められたら、われの2番手組と合同で調練をやらしていただけないでしょうか?」
「ということは、本番のときにも2番手と6番手はいっしょに行動するということですな?」
「できれば、松平さまに総指揮をおとりいただき、われが総指揮並みという資格でお手伝いさせていただきます」

小津筆頭が笑みを隠しながら、組頭にうなずいた。

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