天明7年5月の暴徒鎮圧
4昼夜におよんだ江戸の打ちこわしのおおよそを過去のコンテンツから、ざっと復習したい。
【参照】2007年8月29日[堀 帯刀秀隆]
2007年8月30日[町奉行曲渕甲斐守景漸(かげつぐ)]
先手10組にようやくに出動命令がくだったのは、23日の朝であった。
火の見櫓からの手旗により、水道橋から小石川金杉水道町へむかっている一団があるとの知らせが告げられた。
平蔵(へいぞう 42歳)は、鎖帷子(くさりかたびら)を着こんだ2番手の与力・同心と小者らの20人の右腕をうち振らせながら、6番手の組の20人を指揮して安藤坂へと急いだ。
先頭の長谷川組の20人が腕を振るごとに、姿の見えない鈴の合奏が町にひびくので、なにごとかと通り筋の家々がわざわざ表へ飛びだして見送った。
中には、鈴にあわせて手拍子を打ちながら、後ろからついてくる若者や子どももいた。
安藤坂にさしかかると、平蔵が号令をかけた。
「速脚(はやあし)!」
革たんぽつきの槍棒を小脇にかいこんだ40人が走ると、右腕の鈴の音とともに大軍団が駆けている喧噪が通りを貫いた。
「銭鬼(ぜにおに)!」
「欲呆(よくぼ)け!!」
「人でなし!」
口ぐちにののしりながら、いまにも竜門寺門前町などに5軒ほど点在していた米穀店の表板戸を破ろうとしていた暴徒が鈴の音に、手をとめて鎮圧隊のほうをみた。
「売り惜しみ屋!」
「おお。そういう打ちこわし屋へ申しつける。お上はこの3日間、そこもとらとの話しあいの機会をさぐってきたが、ひとりとして名乗りでてこぬ。ここには惣代はおらぬのか」
陣笠に火事装束の平蔵が呼びかけた。
暴徒が静まり返った。
「われは、先手・弓の2番手組と6番手組の総大将・並(なみ)の長谷川平蔵という者だ。そちら側のいい分を聴こうではないか」
一団の中から、まともの衣装の男がでてき、平蔵の前に立った。
「おことが惣代か?」
30男がうなずいた。
「よし、牛天神(うしてんじん)さんの席をかりて話しあおう。話がおわるまで、みなの者を境内の日陰で休ませてやれ」
(牛天神 諏訪神社 『江戸名所図会』 塗り絵師:(ちゅうすけ)
社務所へ先にたって歩む平蔵に、6番手組の筆頭与力・小津時之輔(ときのすけ 48歳)と2番手組の次席与力・館(たち) 朔蔵(さくぞう 37歳)がたんぽ棒を手に従った。
30男の惣代には、10代とおもえる前髪の少年がついていた。
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