〔馬伏(まぶせ)〕の茂兵衛
『鬼平犯科帳』文庫巻11の[穴]に登場。
かつての大泥棒〔帯川(おびかわ)〕の源助の一の手下だった。
いまはお頭とともに引退し、京扇子店〔平野屋〕の番頭。
年齢・風貌:40がらみ。糸瓜をおもわせる長い顔。
生国:遠江(とおとうみ)国磐田郡(いわたこおり)浅羽村馬伏塚(現・静岡県袋井市浅羽)。
(浅羽町は2005.04.01に袋井市と合併)。
探索の発端:西の久保の化粧品店の金蔵に、いつのまにか賊が入り、300余両が盗みとられ、しばらくして、藁づくりのネズミ2匹と川越産のさつまいもとともに、その全額が三方に載せられて、金蔵に戻っていた。
このあざやかな盗みの手口には、さすがの鬼平も犯人の見当がつかなかった。
ところが、老密偵〔舟形(ふなかた)〕の宗平が、深川の富岡八幡宮の境内で、近江の八日市の鍵師・助治郎に出会ったことから、探索の端緒がつかめた。
(参照: 鍵師(かぎし)の助治郎 の項
いまは足を洗い、〔平野屋〕の主人におさまっている〔帯川〕の源助と、番頭の茂兵衛のいたずらだったのである。
(参照: 〔帯川(おびかわ)〕の源助の項)
結末:70歳をすぎても、ときとして盗みの血がさわぐ〔平野屋〕源助のやむなきいたずらを、鬼平はとがめなかった。それよりも、源助・茂兵衛に密偵同様のはたらきをしてもらう利点のほうをとった。
つぶやき:警察大学校の校長をつとめた仲間のKさんによると、徳川幕府による刑罰の掟書きはきわめて少なく、警察官僚たちは、その隙間を埋めるようにして自分の裁量でことを処理できたという。
「馬伏塚」という城址を静岡県磐田郡浅羽町に見つけたときは、おもわず「やったぁ!」と声をあげた。
袋井駅前からバスで浅羽町役場へ。ここでできたばかりの『浅羽町史』を購入(5,000円)。
『町史』に、『馬伏塚城』の平面図が載っていたからである。
田圃の中のちょっとした丘---という城址に、武田軍の武将が守備していたことをしめすかのように、諏訪神社が祀られていたのが印象的だった。
馬伏塚城跡の標識
田圃の中にぽつんと馬伏塚城本丸跡
「馬伏」に、池波さんは(まぶせ)とルビをふっているが、地元では(まむし)と呼んでいる。
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