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2004.12.31

〔小房(こぶさ)〕の粂八

『鬼平犯科帳』文庫巻1[唖の十蔵]で〔野槌〕の弥兵衛一味として登場。
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
同巻第3話[血頭の丹兵衛]のあと、密偵となる。
(参照: 〔血頭〕の丹兵衛の項)

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年齢・容姿:天明7年(1787)で30がらみ(33歳?)。軽業一座にいたこともあるので身が軽い。
生国:北近江(推定)。ただし、呼び名は保護者だった「おん婆」が行き倒れた地の「小房」からとったとおもわれる。
小房=現・滋賀県蒲生郡蒲生町桜川東、桜川西(上小房、下小房)
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明治20年ごろの地図 中近江近辺

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同上の拡大図

探索の発端:浅草・新鳥越4丁目の小間物商〔越後屋〕の亭主・助五郎を絞殺したおふじは、火盗改メ方同心・小野十蔵の世話をうけながら、女児を出産。晩秋のある日、赤子を抱いて柳島の妙見堂へ参詣したおふじが、助五郎と交誼のあった〔小川や〕梅吉と連れの30男をみかけたことを、小野同心へ告げた。
火盗改メ方が網を張っていたが、梅吉を取り逃がした代わりに粂と呼ばれている男を逮捕。
粂を拷問の末に吐かせた〔野槌〕の弥兵衛一味を盗人宿---王子稲荷社裏参道の料理屋〔乳熊屋〕で追捕した。

結末:〔野槌〕一味は死罪。ただし、粂は、鬼平が見どころがあると、そのまま牢へつなぎおいた。

つぶやき:粂が、〔小房〕の粂八とわかるのは、第3話[血頭の丹兵衛]においてである。
残虐なつとめぶりをする〔血頭〕の丹兵衛を名乗るニセモノの面をひんむいてやりたいからと、牢を出されて島田まで行って、けっきょく、〔血頭〕がホンモノだったことを知り、密偵となる。
時代は本格派のおつとめから畜生ばたらきの時代へ移行しつつあることを暗示している。

鬼平が火盗改メのお頭になってから、粂八は直属第3号の密偵である。
第1号は、〔相模〕の彦十、第2号は、おまさ。

鬼平の信頼度からいうと、おまさ、粂八、伊三次、五郎蔵の順。
働きぶりからいうと、おまさ、粂八、伊三次、彦十、五郎蔵の順。

「小房」について、滋賀県小房(桜川西)の「歴史を誘う会」代表の西田善美さんは、
「中世の商人団(座商人)に従事する足子(寄子)と呼ばれる商人がいた。鈴鹿山系を越えて伊勢国の桑名、四日市に至る道筋の村々を商圏とする保内商人の足子〔おふさのひこ太郎〕とある〔おふさ〕は小房であり、その集団が〔小房〕とされる」
「保内商人として活躍した行商人の一部は、御代参街道脇……すなわち地元で商いをしたと思われる。
1714年(正徳17)の春日局からはじまる代参、1678年(延宝6)遊行寺僧の街道の利用によって沿道が発展して栩原神社(上小房)付近に商い場があったとしても不思議はない。
保内の(野方)商人の分家にあたる彦太郎商人集団がそこへ移り住んで、小房を称した。小はへり下った謙称語であり、房は束ねた糸の垂れ房とともに、分家の意味もある。〔小房〕は〔私は分家〕という当時の呼称のようにおもわれる」
と、ご教示くださった。

2005年4月4日。蒲生町を訪れた。

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近江鉄道本線[桜川駅] 

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[桜川]駅のホームから田畑を望む

じつは初めての訪問で距離感がつかめないので、八日市市からタクシーを奮発した。
運転士の早川玄雄さんに今は「桜川」、もとは「小房」と告げると、合点してくれた。最初に「桜川東」で「上小房」のバス停標識を見つけた。

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「上小房」のバス停。明治22年の町村合併で「桜川東」となる

つづいて早川さんは、「下小房のほうが旧家が多い」といって、「桜川西」へ車を走らせた。「小房銀座」というらしい旧道へ入ると、「小房銀座 歴史の舘」という看板を出した家があったが、月曜日のせいか、錆びのでたシャッターが降りている。かつては日本生命の支所だったようだ。開館日にあらためて訪ねてみたい。

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休舘していた「小房銀座 歴史の舘」

早川さんは、いまは年に3度ほどしか積雪しないが、かつては50センチも積もっていたと。おん婆ァが行き倒れたときもそんな積雪の日だったのだろう。

粂八と5寸釘の拷問

[唖の十蔵]Iに、拷問に耐えぬいている粂八が、鬼平の発案による5寸釘を足の裏に打ちこみ、熱い蝋をたらされ、ついに〔野槌〕の弥平の盗人宿を吐いてしまった、とある。
『鬼平犯科帳』の2年前の池波さんの作品『さむらい劇場』(『週刊サンケイ 1966.8.22~67.7.17 のち新潮文庫)に、
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「ひと通りの拷問ではねえ。さかさづりにしておいて、足のうらへ五寸釘をぶちこみ、その上から蝋(ろう)の煮えたやつを、とろとろ、とろとろとたらしこむ。こいつはたまらねえものだ……」p182

ところが『鬼平犯科帳』の1年前に書かれた『近藤勇白書』(『新評』 1967.11月号~69.3月号 のち講談社文庫 新装版)上p280 におなじ拷問ぶりが記されている。
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池波さんのエッセイによると、この『近藤勇白書』の執筆に先立ち、『新選組』3部作(中公文庫)の著者である先達の子母澤寛氏を訪問、データ借用について快諾をえた、とある。
1102
(1928)            (1929)            (1931)

上記『新選組始末記』p121に、

壬生の屯所へ引立てた(古高 ふるたか)俊太郎を、土方歳三(ひじかたとしぞう)が、尻上りの多摩弁で針を刺すように厳重に取調べたが、素より古高も決死の覚悟である、一言半句も口を開かない。
背中の皮が破れて血が流れたが、
「如何にも本名は古高俊太郎である。それならばどうしたというのか」
こういったきり、瞑目した黙った。
夕刻になって遂々(とうとう)、土方はむかっ腹を立てて、古高をしばったまま逆さに梁(はり)へ釣るし上げさせ、足の甲から裏へ五寸釘をずぶりと突き通し、それへ百目蝋燭(ろうそく)を立てて火をつけ、とろりとろりと蝋を肌へ流すようにした。
これには、流石(さすが)の古高も堪えかねたと見え、ものの一時間も悶え苦しんだ上に、素直に尋問に答えるようになった。

古高の白状の結果、新選組による池田屋襲撃へと、つながっていく。

ところで、長谷川平蔵と同時代の貴重な記録である『よしの冊子』iには、平蔵の自慢話「おれは町奉行所や松平左金吾のように拷問なんかしない。しなくてもするすると白状におよぶ」と記されている。

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コメント

ひゃあ、大つごもりに、本命登場!

粂八さんって、男ざかりなのに、女っ気がまるでないでしよう?

そりゃあ、10何年前、30歳前後のころに、鮫津の香具師の元締の囲われ者のお紋さんと駆け落ちしたほど情熱的だったことはありますよ。

でも、そのお紋さんが殺されて以後はまったく---。
だから、あたしが血道をあげてるってわけ。

投稿: 裏店のおこん | 2004.12.31 09:29

おこんさんのために特別にアップした形になりましたね。

でも、このブログでも、HPのほうでも、おこんさんの発言は異彩をはなっているとの評判が高いですから、まあ、そのごほうびということで。

来年も、ユニークなコメントをお寄せください。
下ネタは調味料ていどにとどめて。

投稿: ちゅうすけ | 2004.12.31 09:49

ちょっと腑に落ちない小房の粂八
粂八は血頭の丹兵衛の配下にいて、岡崎の御城下で押し込みをした時飯炊き女を嬲って丹兵衛から破門されてます。それでも粂八はいそぎ盗きをした丹兵衛はにせ者で本物の丹兵衛は「そんなムむごたらしいことはしない」とかばいます。しかしその粂八が「唖の十蔵」で野槌の弥平の一味として小石川春日町の薬種問屋にいそぎ盗きをしたのではないかという疑問です。
それとも単なる一味の小川の梅吉と知りあいだけで野槌の弥平の配下ではなかったのか。
靖酔とすれば勿論配下でないことを願うのですが。

投稿: 靖酔 | 2004.12.31 16:13

靖酔さんの尻馬にのって----

鬼平は、〔小房〕の粂八のどこを見て、処刑をやめて密偵にしようと考えたのでしょうね。

〔血頭〕の丹兵衛を探しに行く前---[唖の十蔵]のときに戻ってみます。
きびしい拷問にもくじけず、足の甲に五寸釘をうち蝋をたらされるまで、〔野槌〕の弥兵衛の盗人宿を頑強に白状しない、その根性を見たのでしょうか。

[唖の十蔵]が、その前の年の12月号に載った[浅草・御厩河岸]を読んだ『オール讀物』編集長が即座に連載を依頼、池波さんが「次の号---つまり、新年号からでもいい」と答え、「それ!」とばかりにあわてて書かれた篇であることは、クラスで話しましたね。

その時点では、本格派と畜生ばたらき派の考えは池波さんにはまだ、はっきりとはなかったのではないでしょうか。

もちろん、[浅草・御厩河岸]の1年半前に発表された[白浪看板]では、〔夜兎〕の角右衛門が三つの掟について語ってはいますが。

つまり、〔小房〕の粂八は、密偵になってから、じょじょにいい盗人、いい密偵に仕上げられていった、とかんがえられませんか。

でも、こういう詮索は、『鬼平犯科帳』を楽しむには無用のようにもおもえます。

投稿: ちゅうすけ | 2004.12.31 16:47

蒲生郡蒲生町は、2006年1月1日に、市町村の大合併で、近隣の町々とともに八日市市へ合併、新市名を東近江市と改めました。

小房の表記は、滋賀県東近江市桜川でしょうか。
地元の鬼平ファンの方のご教示を俟ちます。

投稿: ちゅうすけ | 2006.08.17 07:33

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