〔伏屋(ふせや)〕の紋蔵
『鬼平犯科帳』文庫巻11の[密告]に登場する盗賊の残忍な首魁。木更津を本拠に、安房(あわ)、上総(かずさ)、下総(しもうさ)、常陸(ひたち)を縄張りにした〔笹子(ささご)〕の長兵衛の義理の子。
ついでだが、「通り名(呼び名)」の〔伏屋〕はみすぼらしい小屋のことだが、別に行人(修行僧)を留宿休憩させる小舎を指すこともある。池波さんの頭には、むしろ報謝宿もふくめて後者が浮かんでいたかも。
年齢・容姿:30そこそこに見えるが、じつは、25,6歳。長身、浅黒い肌、きりっとした顔つき。
生国:武蔵(むさし)国江戸の深川(現・東京都江東区深川1丁目)。育ちは上総国木更津の旅籠〔笹子屋〕。旅籠の亭主を隠れ蓑にしていた長兵衛が、上総の望陀郡(ぼうだごおり)笹子(現・木更津市笹子)の生まれによる屋号か。
探索の発端:清水門外にある火盗改メの役宅に近い九段坂下で葭簀(よしず)張りの居酒店をだしている久兵衛へ、長谷川平蔵あての文をことずけた中年女がいた。
書かれていたのは、今宵、仙台堀の足袋商〔鎌倉屋〕へ賊が押し入るというものだった。
鬼平は、すぐさま、寝巻き姿のままの同心・木村忠吾を、船宿〔鶴や〕をまかされている〔小房〕の粂八の元へ走らせて舟を〔鎌倉屋〕の前へまわすように伝えさせるとともに、筆頭与力の佐嶋忠介に命じて万端の手配りをととのえさせた。
結末:〔鎌倉屋〕へ押し入った賊は、〔伏屋〕の紋蔵一味だった。斬り殺され者7人、逮捕者7人、逃げおうせた者1人。逮捕者はいずれも、半月後に死罪。
つぶやき:密告したのは、〔笹子〕の長兵衛の女房で、連れ子・紋蔵の実母の〔珊瑚玉〕のお百。息子の畜生ばたらきに嫌けがさしてのことであった。
お百がまだ小娘で、深川・陽岳寺の前の茶店〔車屋〕ではたらいていたとき、百俵扶持の貧乏御家人の長男・横山小平次に子をみもごらされた。その子が紋蔵である。
赤子を抱いて、お百は上総へ去った。そのお百の懐中には、銕三郎(平蔵の家督前の名)が小平次から吐きださせた25両と銕三郎の餞別の3両、そして髪には銕三郎が贈った珊瑚玉のかんざしが置かれていた。
お百の「通り名」---〔珊瑚玉〕のゆえんである。
この物語の圧巻は、火盗改メの取調べにふてぶてしく対していた紋蔵が、鬼平に「お前の父親はおれだ」と告げられるやいなや、しょげかえったのと、処刑の前日に鬼平から軍鶏鍋をふるまわれた上、殺された母親の珊瑚玉のかんざしを「明日は、この簪を抱いて行け」と渡され、「は、はい---」と素直に受けたるシーンである。誠意対誠意の好場面。
「江戸市中を引き廻しの上、首を切られる」p207(新装版p224)のはおかしい、斬首は大伝馬牢内でおこなわれるのが常だから、市中を引き廻された者は刑場で磔(はりつけ)ではないのか、との疑念を呈する向きもあるが、引き廻しは付加刑だから、その後での斬首もありうる。
ついでにいうと、獄門は獄内(鈴が森、小塚原)で斬首のあとに首をさらす刑罰。
こちらは些細な指摘。寸鉄も佩びない寝巻き姿で、清水門外から深川・扇橋東の〔鶴や〕まで走った忠吾は、木戸々々を通りぬけるとき、火盗改メの同心であることを、どう、証明したのだろう?
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コメント
この篇は、『鬼平犯科帳』の中期の傑作のひとつですね。
それというのも、30年近い昔の銕つぁんが小娘のお百にかけた慈悲ぶかい温情と、歳月を経てその子の紋蔵へ、ふたたび慈悲をかける人情話ですから。
舞台で演じられたら、平蔵が母親のかんざしを紋蔵へ渡すところで、「○○屋ッ!」と声が飛ぶところ。
吉右衛門さんは、「何屋ッ!」でしたっけ。ド忘れ。
投稿: 文くばり丈太 | 2005.03.11 10:36
>文くばり丈太さん
ほんと、よくできた人情劇ですね。
無頼時代の銕つぁんの、じつは正義感にあふれたやさしさ、法の執行者になってからも、小さなことは情で解決する人情味の厚さが、たくまずしてでている篇ですね。
投稿: ちゅうすけ | 2005.03.12 08:49
文くばり丈太 さま
中村吉右衛門という名門には、江戸時代の京坂の〔加賀屋ッ!〕さんと、いまの鬼平の中村吉右衛門(2代目)の〔播磨屋ッ!〕さんがあります。
もちろん、文くばりさんがおっしゃっているのは、〔播磨屋ッ!〕さんのほうですね。
吉右衛門丈の舞台姿を思い出して、お芝居を観に行きたくって、ムズムズしてきました。
投稿: 加代子 | 2005.03.13 08:57
加代子さま
そうでした、「播磨屋ッ!」でした。
ご教示、深く感謝いたします。
お礼が送れてもうしわけありませんでした。
私も、天井桟敷の大向こうから、「播磨屋ッ!」と怒鳴ってみたくなりました。
投稿: 文くばり丈太 | 2005.03.16 17:35