〔玉村(たまむら)〕の弥吉
『鬼平犯科帳』文庫巻21の[男の隠れ家]で、芝・宇田川町の袋物・小間物問屋〔吉野屋〕の入り婿・清兵衛と「賭け碁」で知りあって気があい、家付きむすめの女房にないがしろにされている清兵衛に、侍姿に扮して町を歩いて鬱憤を晴らす知恵をつけたり、強気女房の頭を丸めるのに手を貸したりした、ひとり働きの酔狂な盗人。
年齢・容姿:38,9歳か。というのは、寛政5年(1793)師走の事件[泥亀(すっぽん)の七蔵]から6,7年前、七蔵が〔牛尾(うしお)〕のお頭の下にいたときに24,5歳、それから10年以上の歳月が経っているから。
いわゆる馬面だが、目鼻口がたがいに距離をとってついている。
(参照: 〔泥亀〕の七蔵の項〕
生国:上野(こうずけ)国佐波(さわ)郡玉村(現・群馬県佐波郡玉村町)。
探索の発端:密偵〔泥亀(すっぽん)〕の七蔵は、もとは〔牛尾(うしお)〕の太兵衛一味にいた。その後、芝・三田寺町の魚籃観音堂境内の茶店を買ってもらって引退したのだが、〔牛尾(うしお)〕のお頭の遺族の窮状を見かねて、むかしのお盗めをおもいたちはしたが、七蔵ごときの力ではうまくいくはずがない。そのときの鬼平のあしらいに感激して密偵を志願したのだ。
(参照: 〔牛尾〕の太兵衛の項)
その七蔵が、かつて牛尾一味にいた〔玉村(たまむら)〕の弥吉を見かけた。「あの奇妙な顔立ちを見まちがうはずがない」と強調した。
〔玉村〕の弥吉は、芝の聖坂(ひじりざか)中途から北へわかれた汐見坂の奥、功運寺の手前の一軒家へ住んでいた。その家から、50歳前後の侍が出てきた。
汐見坂。この手前に功運寺があった(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)
結末: 〔玉村〕の弥吉が単身、忍びこんだ先は、芝・宇田川町の袋物・小間物問屋〔吉野屋〕だった。出てきた弥吉を、待ち構えていた火盗改メが捕らえたものの、弥吉はなにひとつ盗んではいなかった。
入り婿・清兵衛の鬱憤ばらしに、清兵衛の女房の黒髪をばっさりやっただけであった。
その酔狂なやり口と、拷問に耐え抜いた強情さを買った鬼平が、密偵にならないかとすすめたが、「狗(いぬ)になるぐらいなら、躰を八つ裂きにしてくれ」と応じなかった。
それで鬼平は、なにもいわないで弥吉を釈放したが、1か月後、弥吉は役宅に現れ、密偵となった。
つぶやき:密偵となった弥吉は、巻22[迷路]では、〔大滝〕の五郎蔵・おまさ夫婦の家に間借りしているが、文庫巻22[迷路]での仕事ぶりに、鬼平は「何ものか」を持っている彼を見直した。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 女密偵おまさの項)
その働きぶり一つが、〔法妙寺〕の九十郎のために働いている座頭・徳の市を見つけたことである。
(参照: 〔法妙寺〕の九十郎の項)
(参照: 座頭・徳の市の項)
というのも、かつて名古屋城下で〔赤堀(あかぼり)〕の嘉兵衛のお盗めを助(す)けたときに、〔嘗(なめ)役]と〔連絡(つなぎ)役〕を兼ねていた座頭の〔徳の市〕を見知っていたため、築地・船松町の薬種屋〔笹田屋〕から彼が出てきたのを、咄嗟に見のすことなくすんだのである。経験の勝利といえよう。
(参照: 〔赤堀〕の嘉兵衛の項)
〔笹田屋〕のある船松町から佃島を望む(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)
そのことを鬼平に知らせるために、深夜、警戒厳重な役宅の鬼平の寝間の外まで、やすやすと忍びこんできたからである。
汐見坂奥にあった功運寺は、戦災で、中野区上高田4丁目へ移転している。
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コメント
長官が〔玉村〕の弥吉の中に見たのは、あふれんばかりの遊びごころ、不撓不屈の根性、盗人として必須の忍び術のほかに、細心の気ばりと大胆な行動だとおもいます。
読んでいても、〔玉村〕の弥吉の口にする言葉、差す手引く手---胸がすくではありませんか。得がたい碁敵ですね。
投稿: 文くばり丈太 | 2005.03.02 09:14
この[男の隠れ家]を読んですぐ思いつくのは文庫4巻の[血闘]ですね。
本所の銕と呼ばれ、鶴の忠助の盗人酒屋の世話になって居た時、平蔵の身の上に同情した忠助が長谷川屋敷へ盗みに入り継母波津の髪の毛をばっさり切りとった話を。
でも吉野家の女房の方は丸坊主にされたのですからたまりませんね。
鶴の忠助と玉村の弥吉の共通点は三か条の掟を守った正統派の盗人。
血を見ない池波さんお遊びの一編でしょうか
投稿: 靖酔 | 2005.03.02 09:57
>文くばり丈太さん
ほんと、〔玉村〕の弥吉って、池波さんが創りだした盗人の中でも、読み手の感情移入度でいうと、相当上位にランクされる人物ですね。
>靖酔さん
たしかに、ぼくも、[血闘]をすぐに連想しました。そして「同じテ?」と、いささかの不満を感じたことも隠しません。
でも、〔玉村〕の弥吉というすばらしい新キャラの創造に免じて、同工異曲のデメリットは問わないことにしました。
投稿: ちゅうすけ | 2005.03.02 15:53