〔津川(つがわ)〕の弁吉
『鬼平犯科帳』文庫巻14に収録の[五月闇]で、〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵が命をねらっていることを、京の四条河原で出会ったときに伊三次につげた、ひとりばたらきの盗人。
(参照: 〔強矢)の伊佐蔵の項)
(参照: 〔朝熊〕の伊三次の項)
年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:越後(えちご)国蒲原郡(かんばらこおり)津川村(現・新潟県東蒲原郡津川町津川)。
〔強矢〕の伊佐蔵の盗めの区域は、上信2国から越後・越中へかけて---とある。弁吉が出会ったすると、そのあたりであろう。
池波さんの土地勘は、[五月闇]に先立つ13年前に発表した独立短篇[金太郎蕎麦](『小説現代』1963年5月号 角川文庫『にっぽん怪盗伝』に所載。テレビでは『鬼平犯科帳』の1篇として放映)の、肌が抜けるように白いヒロインお竹(テレビ・池波志乃)の出生地を、「越後の津川」としていることからもうかがえる。
池波さんは、町制を昭和30年(1955)に敷いて津川町となった津川を訪れ、肌のきれいな女性を目にしたか、あるいは津川郷出身のそういう人を知ったか。
探索の発端:〔強矢〕の伊佐蔵が「今度、どこぞで見つけたら、なぶり殺しにしてくれるといっていたぜ。おれはな、伊三さん、お前さんとは盗めの義理があるし、向うの伊佐蔵どんとは別にどうということもねえ(中略)。ともかく、このことをお前さんにつたえることができて、おれはうれしい。ま、くれぐれも気をつけておくれよ。じゃあこれで、おさらばだ」といって去っただけなので、探索も処刑もない。
結末:〔津川(つがわ)〕の弁吉から伊佐蔵の復讐心を聞いた伊三次は、助(す)るときめていた〔須賀(すが)の笠右衛門との盗めの約束も反故にして、上方から逃げ出す始末。
つぶやき:伊三次の死にまつわって、いろいろつたわっている読者の反応のエピソードとはまるで関係のないことを。
池波さんと親しかった司馬さんのエッセイ集『司馬遼太郎が考えたこと 1』(新潮文庫 2005.01.01)の[大阪的警句家]に、こんな一節がある。
滝ノヨウニナガレデタパチンコダマ
といったような、手あかのついた形容は、大阪の庶民はつかわない。
「パチンコ台が、消化不良になりよったみたいに玉がむさんこ(とめどなく)出てきたがな」
とかいう。(1961.07.01 『松竹新喜劇』パンフレット)
司馬さんから似たような話を聞いたことが頭の片隅に海苔(のり)の芽のようにこびりついていたか、[五月闇]で鬼平が伊三次に〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵の盗めぶりを、こう、たとえる----
「血なまぐさいまねを、まるで自分(おの)が洟(はな)を擤(か)むようにしてのける奴なのだな?」
こういう比喩は、池波さんはふつうは、書かないのだが。
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コメント
津川の弁吉は「五月闇」の中で、ほんの数行
しか登場しません。
生国も容姿も年齢も盗めの様も何にもわかり
ませんが、このストーリーの中のキーパーソン
だと思います。
弁吉が京の四条河原で強矢の伊三蔵から聞かされた彼の恨みの強さを、伊三次仁伝えた
これは伊三蔵の仕返しを覚悟し恐れていた
伊三次の気持ちにダメ押しをしたようなもので
後の伊三次の苦悩と哀しみを倍増させたと、
思います。
そのために伊三次は無防備に伊三蔵に刺され、死へと繋がっていくのですから。
投稿: みやこのお豊 | 2005.04.12 22:48
>みやこのお豊さん
〔津川〕の弁吉がキーパーソン----おっしゃるとおりですね。
それにしては、年齢も、伊三次との具体的な関係も書かれていません。
池波式省略法の最たる筆法です。
さらに、その生誕地を「津川」にした---13年前の駆け出し作家同然の時代に書いた[金太郎蕎麦]のヒロインお竹の生誕地とダブらせている---力が入っています。
投稿: ちゅうすけ | 2005.04.13 13:10