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2005.06.27

〔青田(あおた)〕の文四郎

『鬼平犯科帳』文庫巻11に収まっている[密告]は、娘時代に恩義をうけた〔珊瑚玉(さんごだま)〕のお百(41歳)が、わが子ながら畜生ばたらきをやめない〔伏屋(ふせや)〕の紋蔵(25歳)の一味が、「今夜、深川・仙台掘の足袋股引問屋〔鎌倉屋〕を襲う」と密告。
(参照: 〔珊瑚玉〕のお百の項)
(参照: 〔伏屋〕の紋蔵の項)
浅草・今戸の盗人宿に残っているお百の監視役をつとめたのが〔青田(あおた)〕の文四郎である。

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年齢・容姿:どちらもの記述はないが、20代であろう。
生国:下総(しもうさ)国葛飾郡(かつしかごうり)小金牧野付村牧野(現・千葉県流山市青田)
【参考】千葉県流山市青田の地図
〔伏屋〕の紋蔵の義父〔笹子(ささご)〕の長兵衛も下総の笹子の出であったから、紋蔵も下総出身者で一味を固めたろう。
下総にはもう1村、青田という地名がある。新治郡(にいはりごおり)のいまは八郷(やさと)町に組みこまれている(あおだ)である。が、池波さんは(あおた)と濁らないでルビをふっているので、流山市の北東端の青田をとった。

探索の発端:〔珊瑚玉〕のお百の密告で捕縛された紋蔵は、鬼平から「お前の実の父親はおれだ」といわれて態度を一変、お百の隠れ場所を白状し、捕縛をのがれた〔青田〕の文四郎の弟の半助がお袋の命を狙っていると訴えた。

結末:盗人宿である今戸・長昌寺門前の茶店へ鬼平と彦十たちが駆けつけてみると、文四郎は、お百に毒殺されており、半助とお百は刺し違えて2人とも息絶えていた。

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浅草・今戸 長昌寺(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

つぶやき:この篇も、ぐれてはいても芯は人情味が厚かった、銕三郎の若きころの姿をフラッシュ・バックしてみせる。
こうした一つひとつのエピソードが積み重なって、鬼平という壮大な人間像になっていく。
エピソードを創作する池波さんはたいへんだろうが、読み手は旧知の仁のようにさらになじんでいく。

話変わって。『図会』で示した長昌寺だが、ここの開基・日寂(にちじゃく)上人は、元は浅草寺の僧。下総国中山妙法華寺の日常上人と法論をたたかわし、浅草寺を出て身延山へあがって日蓮上人の弟子となり、草庵を結ぶ。

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中山妙法華寺(『江戸名所図会 塗り絵師:)

浅草寺を出るとき、寸余の聖観音像を持ちだしたとの説も。現在地(台東区今戸 2-32-16)の同寺には、宗論の芝生と観音堂も設けられている。

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