〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛
『鬼平犯科帳』も後半になると、本格派はほとんど影をひそめ、凶悪な畜生ばたらきの盗賊たちが跳梁する。そうした中で、文庫巻21の[討ち入り市兵衛]にいたって、本格派の〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛とその一味に出会うと、白い花ぴらに紅色の花芯の槿(むくげ)の花に出会ったような、すがすがした気分になる。
筋書きは、〔壁川(かべかわ)〕一味からの協力要請を、畜生ばたらき派とは組めないといって、〔蓮沼〕の市兵衛が拒絶したため、使いに立った〔松戸(まつど)〕の繁蔵が〔壁川〕一味に斬られた。
市兵衛は少人数で、その復讐戦をいどむ。
年齢・容姿:70もなかば過ぎか。道端の石の地蔵さんのような顔。真っ白な髷(まげ)。品のよい老女のような物やわらかな声。
生国:武蔵(むさし)国豊島郡(としまこうり)蓮沼村(現・東京都板橋区蓮沼町)。
上野(こうずけ)国那波郡(現・埼玉県深谷市)、常陸(ひたち)国真壁郡(現・茨城県協和町)などの蓮沼も考えたが、テリトリーが江戸中心ということから、板橋区蓮沼を採った。
探索の発端:本所・弥勒寺前の植木屋〔植半〕の庭で血を流してうめいている男を、隣の茶店〔笹や〕の老女主人・お熊がみつけ、〔五鉄〕へ弥勒寺の若い僧を使いに走らせた。
本所 弥勒寺。正面の楼門向いが〔笹や〕
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゅうすけ)
密偵・彦十と運よく〔五鉄〕にいた鬼平が駆けつけた。
彦十は、男を見るなり、〔蓮沼〕の市兵衛の右腕の〔松戸〕の繁蔵とわかった。
意識がもどった繁蔵は彦十に、神田・鍋町の鞘師・長三郎あての結び文を依頼。彦十はその家で〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛に会い、事情を話した。
結末:〔壁川(かべかわ)〕の源内一味へ討ち入りをかけた市兵衛は斬り死の直前に、鬼平の添え手で源内にとどめを刺す。〔蓮沼〕一味を裏切った〔鹿間(しかま)〕の定八は捕縛。
(参照: 〔鹿間〕の定八の項 )
つぶやき:火盗改メ方の長官・鬼平も、〔蓮沼〕の市兵衛のさわやかな人品と3ヶ条の掟を守り抜く古風さに、その復讐劇につい、手を貸してしまう。
その幕切れの所作は、まさに舞台での見せ場である。
しかも、二段底が用意されている。市兵衛が鬼平へ渡した助っ人料を、鞘師・長三郎へ返し、
「その五十両で、市兵衛ほか、斬死にした者たちの墓を建ててやるがよい」
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コメント
武蔵国・大里郡・・・の蓮沼こと
文庫巻21『討ち入り市兵衛』の〔蓮沼〕の市兵衛の出生地候補の一つである武蔵国(埼玉県)大里郡の蓮沼は、現在の深谷(ふかや)市であることが判りました。『大日本地名辞書』(明治33年刊)に出ている明戸村、深谷町、藤沢村、幡羅村、大寄村が昭和30年(1955)に合併して深谷市となっています。現在の深谷市の地名に明戸、新井、江原、上増田、沼尻、蓮沼、堀米の昔の地名がそのまま残っています(ぽすたるガイドの深谷市で確認出来ます)。
深谷は江戸時代は中仙道の宿場町として発展した町であり、また利根川(とねがわ)の水運もあり、物資の集散地としても栄えた所と推察されます。
『五街道細見』(岸井良衛編・著 青蛙房)の中仙道の浦和からの道筋を見ていて気づいたのですが、針ヶ谷、前砂、久保島など、盗人の名前に関連したものが出てきて、これらも池波先生は活用したのではと考えました?
投稿: 新兵衛 | 2006.08.17 10:56
>新兵衛さん
ええ、熊谷市の蓮沼説も有力ですね。
ぼくは、いま、東急池上線の鎌田から一つ目の「蓮沼」駅にこだわっています。
江戸時代、武蔵国荏原郡蓮沼村。229余石全部が増上寺支配。
池波さんのさんぽコース筋の一つです。
『蓮沼』駅の次が本門寺への「池上」駅。
投稿: ちゅうすけ | 2007.01.05 07:46