〔有馬(ありま)〕の久造
『鬼平犯科帳』文庫巻7に収められている[隠居金七百両]で、首領の〔白峰(しらみね)〕の太四郎(72歳)から、3代目をゆずられることになっている痛みの幹部。
太四郎は、隠居金七百両を、4年前に病気で足を洗い、雑司ヶ谷の鬼子母神境内で茶店の亭主におさまっている[掘切(ほりきり)〕の次郎助に、隠居金700両を預けておき、近く妾おせいと江戸で隠居生活に入るつもりだった。
(参照: 〔堀切〕の次郎助の項)
年齢・容姿:どちらも記載されていなが、40歳後半の気力充実の年代と推察。
生国:摂津(せっつ)国有馬郡(ありまごうり)有馬(現・兵庫県神戸市北区有馬)。
「有馬」は「有間」と書いた。「アリ(山)」と「マ(土)」、すなわち山間(やまあい)の土地との説がある。その証拠に「有馬」「有間」と名づけられている土地は、日本中、いたるところに存在する。
もっとも、この篇の場合、〔白峰(しらみね)〕の太四郎が上方から大和、播州へかけてを縄張りとしているので、有馬温泉の有馬と確定した。
文庫巻13[熱海みやげの宝物]でも、かつて彦十が、有馬の湯で湯治している〔馬蕗(うまぶき)〕の利平次へ見舞金をとどけたとあるから、池波さんの頭の中では、「有馬」といったら、まっさきに神戸市の有馬温泉が浮かんだはず。
探索の発端:この篇は、上方にいる〔白峰(しらみね)〕の太四郎一味を探索する物語ではなく、隠居金700両を奪おうとする〔奈良山(ならやま)〕の与市と[掘切〕の次郎助の抗争が表の筋だから、〔有馬〕の久造はチラっと名が出るだけである。
結末:太四郎の隠居金の預け先を〔奈良山(ならやま)〕の与市へ洩らしたのは、彼の姉で太四郎の妾のおせいだったというおそまつ。
つぶやき:池波さんの金銭感覚として、『鬼平犯科帳』の結末近くでは、1両を20万円とみている。
隠居金700両というと、1億4,000万円である。
子もいない72歳の〔白峰(しらみね)〕の太四郎と妾のおせいが、江戸の片隅---通勤などないのだから、芝居小屋としゃれた小間物屋や呉服屋に便利な町---の家を求めても、200両(4,000万円)もすまい。あと、何年生きて500両(1億円)を使うつもりだったのだろう。
元首領の〔瀬音(せのと)〕の小兵衛が、岡部宿の〔川口屋〕のおすみに、死に水ふくみの食い扶持として預けたのは100両(2,000万円)だった(もっともこの篇の発表時期---『オール讀物』1970年9月号---での池波さんの換算率は1両6万円だから、発表当時の金銭感覚だと、小兵衛が預けたのは600万円相当)。
(参照: 〔瀬音〕の小兵衛の項)
池波さんの頭の中でのインフレ進行は、20年たらずで3倍強になっていた。
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コメント
隠居金700両を持っていて何に使うつもりなのでしょうね。
両という単位は庶民には関係のない額。
話だけでは、土地でも買っていた方が良いと思うのですが、
土地は領主のものですからそうも行かなかったのでしょう。
昔はお寺が金を預かっていたらしいのです。
それ以外は穴でも掘って隠すより方法がなかったようですね。
投稿: edoaruki | 2005.06.29 16:19