〔水越(みずこし)〕の又平
『鬼平犯科帳』文庫巻6に載っている[むかしなじみ]では、密偵の最古参〔相模(さがみ)〕の彦十爺つぁん(60に近い)に、20年ぶりの出会あったかつて小盗め仲間だった〔網虫(あみむし)〕の久六(53,4歳)が盗みの誘いをもちかけた。久六の巧みにつくった人情話に、彦十の胸の底で盗みの血が目をさました。
(参照: 〔網虫〕の久六の項 )
〔網虫〕の久六は、深川の木場の西---島田町で蝋燭やら灯油やらのこまごましいものを商っている〔いなばや」の亭主で、かつての盗め仲間〔水越(みずこし)〕の又平()と甥の房治(30男)も引き込んでいた。
深川木場 手前の画面外が島田町(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
年齢・容姿:50男。でっぷりと肥り、はげかかっている頭髪、うすい痘痕(あばた)面。
生国:陸前(りくぜん)国登米郡(とめこうり)水越村(現・宮城県登米郡中田町淺水)。
近江出生で大坂の見世物に売られた〔網虫〕の久六との縁からすると、越前・足羽郡の水越(現・福井市水越)もかんがえられる。
また、池波さんが司馬遼太郎さんの家をときどき訪問していたことから、河内国高安郡水越(現・大阪府八尾市水越)の地名記憶も推測できないではない。
いずれの地も、洪水にになやまされたことに由来する地名である。
中田町は東からの北上川、西からの迫川にはさまれている。
懐郷の念から縦横に掘割がめぐっている水郷・木場の近くに居を構えたとも見る。
陸前出身の又平、相模生まれの彦十、近江で捨てられた久六の出会いの場には、江戸がもっともふさわしい。
探索の発端:彦十の態度の変化から、鬼平が五郎蔵・おまさ夫婦に探索を命じ、五郎蔵の尾行によって、〔水越(みずこし)〕の又平の〔いなばや〕が見つけられた。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項目)
(参照: 女密偵おまさの項)
結末:日本橋橘町3丁目の町医・人見道春宅へ、いよいよ今夜は押しこもうと、〔水越〕の又平の家へ集まった6名は、全員、火盗改メに捕縛された。その中に彦十の姿はなかった。鬼平のおもわくで、五郎蔵に事前に拘束されていたからである。
つぶやき: 屋号の〔いなばや〕はの漢字は〔因幡屋〕ではあるまい。因幡国に水越村はない。〔稲葉屋〕のひらきで、郡名の登米(とめ)にちなんでいるのかも。もっとも、登米は人姓だが。
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