〔勘行(かんぎょう)〕の定七
『鬼平犯科帳』文庫巻7に収録[雨乞い庄右衛門]で、お頭の〔雨乞(あまご)い〕庄右衛門が疾患のある心臓の保養のために、安倍川の水源の梅ヶ島の温泉に滞在していたとき、3年も介添えをしていた配下が、この〔勘行(かんぎょう)〕の定七である。
(参照: 〔雨乞い庄右衛門の項)
定七が介添え役に選ばれたのは、勘行の生地が、梅ヶ島の温泉から西南西へ7キロばかりのところにある勘行峯(標高1450m)の麓で、土地勘があったためだろう。
なにしろ、梅ヶ島は駿府(静岡城下)から7里半(30キロ)も真北へ山奥へ入った温泉である。交通の便のなかったむかしは、不便きわまりなかった湯治場であった。
お頭の庄右衛門は、そこからさらに安部峠を越して身延側へくだり、富士川ぞいをすこし南へさがった横根村の出身である。
年齢・容姿:屈強な30男。
生国:駿河(するが)国安倍郡(あべこうり)奥仙俣(おくせんまた)村(現・静岡県静岡市奥仙俣)
探索の発端:小康に希望をもって江戸へむかっている〔雨乞い〕庄右衛門は、小田原宿で〔勘行〕の定七と〔駒沢(こまざわ)〕の市之助と出会った。二人は庄右衛門を殺そうと、江戸から上ってきていたところだった。
連れだって宿泊した平塚宿で、庄右衛門の首をしめようとしたところを、小田原帰りで泊りあわせていた岸井左馬之助が救ったが、定七と市之助はうまく逃げおうした。
庄右衛門は六郷の渡しにかかったところで心臓発作がおき、息をひきとるまぎわに、洞巻の30両を浅草・阿部川町の妾お照へとどけてほしいと頼んだ。
左馬之助が鬼平へ〔雨乞い〕庄右衛門の顛末を語り、手配がととのった。
結末:一味の若者伊太郎といちゃついていたお照は、庄右衛門の参謀格で眼鏡師をよそおっている〔鷺田(さぎた)〕の半兵衛の手で、すでに始末されていた。
(参照: 〔鷺田〕の半兵衛の項)
深川・小松町の半兵衛の家では、定七、市之助など一味の5人が鬼平の手で捕まったが、隠し金400両の分配の邪魔になる半兵衛は、一味の手で殺されていた。
つぶやき:悪の中の善、悪の中の悪---連載3年目の後半にあたるこの篇も、悪の世界のさまざまな色あいを描きわけており、いよいよ読み手の興をそそる。1年半前から掲載誌『オール讀物』の巻末が定位置になったのもとうぜんといえよう。
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