〔櫛山(くしやま)〕の武兵衛
『鬼平犯科帳』文庫巻8で[明神の次郎吉]と、タイトルにまでなっている腕っこきながら他人への親切にも骨惜しみをしない盗人・次郎吉が、お頭と仰いでいるのが〔櫛山(くしやま)〕の武兵衛。
(参照: 〔明神〕の次郎吉の項)
密偵おまさは、流れづとめの現役(いまばたらき)だったころに〔櫛山〕の武兵衛を助(す)けたことがあり、彦十によると、武兵衛は「地味なお人だが、真(まこと)のお盗(つと)めをしなさるそうな」。
(参照: 女密偵おまさの項)
年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:越後(えちご)国魚沼郡(うおぬまこうり)城山(じょうやま)新田村(現・新潟県南魚沼郡大和町城山新田)。
〔櫛山〕の武兵衛一味のテリトリーは関東一円から奥羽へかけてとあるので、その範囲で探索したら、ここが見つかった。城(じょう)ノ平(ひら)の標高300メートルの山頂に櫛山城跡がある(平凡社『日本歴史地名体系 新潟県編』)。
鬼平の時代より30年ほどさかのぼった宝暦の記録によると、村は家数11戸、男29、女19であったと。女の数の少ないのが異常である。
探索の発端:〔明神の次郎吉〕が行きがかりで遺品を預かり、小梅の春慶寺に寄宿している岸井左馬之助にとどけた。感激した左馬之助が次郎吉を〔五鉄〕へ招待。
次郎吉に見覚えがあったおまさが、彦十へそのことを告げた。
彦十は翌朝、次郎吉を尾行して千駄ヶ谷八幡の裏の盗人宿をつきとめた。
千駄ヶ谷八幡宮(『江戸名所図会)』より 塗り絵師:西尾 忠久)
結末:剣友・岸井左馬之助への配慮と、おまさ・彦十の顔をたて、鬼平は〔櫛山〕一味の逮捕に火盗改メを出動させなかった。心ゆるしている数名の密偵、さらに逮捕は町奉行所を出張らせた。
そのうえ、町奉行・池田筑後守へ〔櫛山〕一味の計の軽減を依頼し、死罪をまぬがらせて遠島に。とりわり、〔明神〕の次郎吉は軽い刑にと、申しおくった。
つぶやき:連載も5年目に入っている。時代を反映し、凶悪な賊の血なまぐさい事件がつづいていた。
そこへ、久びさの本格派の一味の登場である。
池波さんも、つい、筆がすべった。
10両以上盗んでいる者が、町奉行の一存で死罪をまぬがれるはずがない。
将軍吉宗・大岡越前守忠相以後、裁判一事一様---つまり、同じ犯罪には同じ判決が幕府のとりきめとなっているのだ。
もっとも、『鬼平犯科帳』は小説であって、評定所(幕府の最高裁判所)の御仕置記録ではない。池波さんの人情家ぶりがもろに出てもいっこうに差しつかえない。
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