唯我独尊ぶり
松平左金吾が、火事の多い冬場だけの火盗改メ・助役(すけやく)の席を強引にもぎとった天明8年(1788)年10月上旬の、隠密たちの報告書---。
一. これまで加役に就任した当座は、張り切って捕物をしたもの
だが、ことしの加役はめったに捕物をしないので、かえって
気味が悪いと悪党どもも用心しているよし。
隠密たちが悪党を取材するはずはない。
「悪党どもも用心している」との言葉は、左金吾側の強弁としか受け取れない。いうところのご用報告文。
だいたい、長谷川平蔵が着任した先手・弓の2番手は、平蔵がくる前の50年間(600カ月)に144カ月と火盗改メを経験、34組の先手組の中でもっとも経験豊富な組である。
対するに、左金吾が配された先手・鉄砲(つつ)の8番手は、同じく50年間に就いた火盗改メの経験はわずか9カ月。これでは、捜査方法もなにも、蓄積がないにひとしい。
にもかかわらず、左金吾は意気軒昂。
一. 左金吾は先手の同役約30人の組頭の前でいうことに、
「拙者、このたび加役を仰せつかった。せんだっての加役の
勤めぶりはよろしくなく、いろいろと了見違いもあったから、
その方が改めるようにといいつかった」
「せんだっての加役」とは、天明7年9月から翌春まで、本役・堀 帯刀を助(す)けて火盗改メ・助役を務めた長谷川平蔵を暗に非難しているのである。
事情をしっている先手組頭の中には、横をむいてしまったのもいたろう。
一. 松平左金吾が先手を仰せつけられたとき、師匠番は松平庄右
衛門(親遂ちかつぐ。天明6年から7年まで弓組頭。930石)
のよし。
庄右衛門が左金吾へ、
「早々のお礼廻りとして、先手筆頭ならびに師匠番へはぜひ
お廻りになるように」
と教えたところ、
「いや、拙者はそうはしない。あなたはいまは引退なさってい
る。引退なさっている方のところはあとまわしでよい、
現職の方々が優先だ、引退のお方はいちばん後にまわれば
よい」
といってのけたので、庄右衛門は、「それはそれは---」と絶
句して引きさがったよし。
庄右衛門は能見(のみ)松平の支流。祖は世良田二郎三郎信光の八男。こちらも、松平姓の中では名門である。
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コメント
>気味が悪いと悪党どもも用心しているよし。
隠密たちが悪党を取材するはずはない。
「悪党どもも用心している」との言葉は、左金吾側の強弁としか受け取れない。いうところのご用報告文<
御用報告文、本当に面白いですね。こんな報告が信じられていたのでしょうか。
投稿: みやこのお豊 | 2006.05.10 08:28