陣笠か、頭巾か
長谷川平蔵と松平左金吾の最初の鞘当てを、『よしの冊子(ぞうし)』は、こう報告している。
一. 左金吾が加役を仰せつかった当日、殿中で長谷川平蔵がいう
には、
「火事場へ出張るときは陣笠。頭巾はだめ。そのようにお心得あれ」
と。
「それは公儀よりのきまりでござるか」
聞き返す左金吾。
「いや、そうではなく、本役加役の申し合わせでござる」
「それなら、拙者は頭巾をかぶります。公儀よりの掟として文書
になっているのでならば頭巾であれ陣笠であれかぶりましょう。
が、仲間うちの申し合わせということなら、自分の好きでよろしい
ではござらぬか。ことに拙者は馬が苦手なので、落馬しても頭巾
ならば怪我がくない」
これには平蔵も、
「ご勝手に」
というしかなかったよし。
左金吾が「加役を仰せつかった当日」といえば、天明8年(1788)10月6日であろう。
登城して拝命した形をいちおうはとり、ツツジの間へ下がってきて、平蔵のそばへより、
「拙者、加役を仰せつかまつった。ま、ともどもに励もう。ついては、聞き申すが、火事場への出張りには、陣笠か、それとも頭巾かな?」
これは、「ああいえば、こう答えよう、こういえば、ああ返事しよう」と、はなから仕掛けた質問である。
火盗改メのお頭の出張りは、問いただすまでもなく、陣笠にきまっている。火事場も戦場の一種だからである。
それを、先手の組頭たちが聞き耳をたてているところで、ことさらに聞いたのである。
言葉づかいも、先役に対するような控えめないい方ではなかった。
「馬が苦手」とは、いいもいったり---左金吾は、ひどい痔疾で、馬に乗れなかった。なにが、落馬のときにケガが軽くてすむ---だ。
(私事だが、きょう、これから、朝日カルチャーセンター(新宿・住友ビル7F)で、『御宿かわせみ』の第1回を講じなければならないので、この稿は、短くても、ご容赦いただきたい)。
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コメント
素晴らしい探索力というか、左金吾の事を
これほどにまとめられて、永年のご研究と努力の
結果だと思いますが、
私たち読み手としては「who's who 」を見れば
資料が全て揃っていて、本当に便利です。
投稿: みやこのお豊 | 2006.05.12 00:17