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2006.06.28

『御仕置例類集』より(5)

長谷川平蔵名で、幕府評定所量刑をうかがった伺い状を、『御仕置例類集』から順次、紹介している。

○盗み   (寛政元年) 十六番
 上野国佐位郡国定村 百姓 大助
                       町中引き廻しの上、死罪

上記のもの、同類と馴れ合い、上州村々の百姓家の土台下を鎌で掘り抜いたり、締まっている戸をこじ開けたり、壁を切り破ったり、懸け鉄をはずしたりして侵入し、穀物を盗んで売り払い、その銭を配分、己は酒食・博打に散財。あわせて5カ所へ夜盗にはいったほか、広沢河原で新六の倅・彦助を絞め殺し、死骸を川に流して礼金を受け取ったのは、不届き至極につき、頭書の刑にいたしたい。
裁決---人殺しの件は、火盗改メ加役(助役)・松平左金吾からの伺いで、勘定方・根岸肥前守が取り調べたが、関与していないとわかったが、5件の盗みで、町中引き廻しの上、死罪に相当。

つぶやき:
町中引き廻しのコースは、磔(はりつけ)・火あぶりが行われる刑場が小塚原か鈴ヶ森で分異なるが、犯人が犯罪を犯した場所を、見せしめのためにコースに入れたようである。
もうひとつの引き廻しは、斬罪が小伝馬町牢屋敷で施行されるとき。裏門(俗に地獄門という)から出て、鉄砲町、本石町2丁目、十軒店、室町、日本橋、四日市、江戸橋、親父橋、新材木町、田所町、人形町通りより牢屋敷へ裏門から戻った。

Photo_24
町中引き廻し(『風俗画報』より)

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211御仕置例類集」カテゴリの記事

コメント

西尾さんにお尋ねします。三田村鳶魚によれば、怪盗〈葵小僧〉は、取り調べでいろいろ不都合が出てきたため、すぐに死罪にして調書も何もかも、処分されてしまった。よってなんの記録も残っていない、と書いています。では三田村翁は、どこから葵小僧の一件を仕入れたのでしょうか? 翁の著作は、出典を書かないことが多いので、検証するのに苦労します。一説によると、『宇下人言』にも『よしの冊子』にも言及のある、〈大松五郎〉のことである、といいます。なるほど、と目からウロコでした。確証はないようですが、うなずける説だと思います。このあたりについて、ご高見をお聞かせください。

投稿 中 浩正 2006/07/04 11:27:17

投稿: 中 浩正 | 2006.07.04 11:28

お返事がおくれて、もうしわけありませんでした。

お申し越しの、葵小僧、大松五郎、真刀小僧の記録ですが、じつはぼくもまだ手にしたことはないのですが、名和弓雄氏「鬼平事件帳」(実録『鬼平犯科帳』のすべて 新人物往来社「別冊歴史読本」)によると、3人とも、『幕府時代届申渡抄録」(『百萬塔』叢書)に記録されているそうです。

あやふやなお返事で、申しわけありません。

投稿: ちゅうすけ | 2006.07.09 10:24

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