松尾喜兵衛を葬った重願寺
『鬼平犯科帳』巻6に収録されている[剣客]は、弟子の澤田小平次が師・松尾喜兵衛の仇・石坂太四郎を討つ物語である。
剣客・石坂太四郎は、かつて松尾喜兵衛と立ち会って負け、仕官の道を絶たれた。
その怨みを果たすべく、すでに引退していた松尾喜兵衛を、深川・霊雲院裏の隠宅へ押し入って殺害した。
正規の試合ではないから、この場合は、殺人である。
しかし、澤田小平次も、敵討ちの届けも免許もえていないから、私闘である。
澤田を殺人の罪で捕縛しないところが、鬼平流といえる。つまり、超法規。
それはともかく、松尾喜兵衛は、小さな道場を猿江の幕府御材木蔵のそばに開いていた縁で、門人たちによって重願寺(江東区猿江 1丁目)に葬られた。
深川の重願寺
以下、ファンにとってはどうでもいいような詮索である。座興として読み捨てていただきたい。
[剣客]は、寛政3年(1791)、平蔵46歳、澤田27歳のときの事件である。
重願寺が現在地へ移転してきたのは、寛政7年(1795)で---たまたま、平蔵が病没した年と重なった。
移転前は、新大橋と一ッ目の間にあった。寺地が御舟蔵のために公収された。
緑○=御舟蔵 赤○=松尾喜兵衛の住まい
ついでにいうと、松尾喜兵衛が借りていた陋屋は、深川清住町の藍玉問屋〔大坂屋〕の持ち物だった。
重願寺の旧地から200メートルも離れていなかった。
松尾道場が御材木蔵のそばでなかったら、葬地はむしろ、旧地にあった重願寺のほうが近かった。
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