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2006.11.09

深川洲崎

深川洲崎

「描写の後ろに寝てられない」といったのは、新感覚派の旗手だった横光利一だったような。
あの派の人たち、いまではほとんど忘れられ、一般に名がしられているのは川端康成ぐらいかも。

しかし、文体への影響はあきらかだ。
宇江佐真理さんも、支流のそのまた支流ぐらいのところで影響をうけた一人とみたい。深川の町の匂いを表現するときの様子にそれがのぞく。

彼女の[髪結い伊三次捕物余話]の文庫第2巻『紫紺のつばめ』(文春文庫 2002.1.10)の中村橋之助さんの解説がじつにすばらしい。

1999年4月から始まったこのシリーズのテレビ化で、主役をやった思い出を話しているのだが、もう、伊三次になりきりだったことがじんじん伝わってくる。

『紫紺のつばめ』に収録されている[鳥瞰図]で、「あ、函館住まいの宇江佐さんが、江戸を体感するために繰り返し眺めているのは、切絵図はとうぜんとして、広重『名所江戸百景』なんだ」と納得。

伊三次は芝神明前へ絵師の髪を結いに行き、少年の絵にはっと胸をつかれる。
それは、空中から鳥の眼で江戸の町を見下ろす構図になっていた---というから、いつかご紹介した[深川洲崎十万坪]の構図にそっくり。町と埋立地の違いだ。
320_10

広重は、火の見同心の家に生まれた。彼自身もその任についたらしく、俯瞰図はお家芸。---とはいえ、埋め立て・造成の荒涼たる十万坪は、恵まれることの少ないこの世の象徴だったのだろうか。

雪旦は、広重の[深川洲崎十万坪]の高度はないが、つねにある一定の高みから広角で景色を捉えている。
もちろん、荒涼地は地誌にはふさわしくないから、描かない。で、洲崎弁財天社を対比として掲出。
(塗り絵師・森下の友之助 鬼平熱愛倶楽部)
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拡大画像↓クリック
0574洲崎弁天社

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169雪旦の江戸・広重の江戸」カテゴリの記事

コメント

この洲崎に限らないが、広重の絵の奇抜な構図には驚きますが、鷹の目線でこそこの荒涼たる広がりが描けたのでしょうね。一方の雪旦は江戸名所図会刊行の目的にあくまで忠実に、人気の洲崎弁財天を描いていてこれはこれ、興味深く鑑賞できます。

投稿: 森下の友の助 | 2006.11.26 14:22

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