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2006.12.16

奥州信夫郡下村

田沼家に与えられた1万石のうち、奥州(岩代国信夫郡下村(現・福島市佐倉下)は、ある史料から7000石とわかった。

『旧高旧領取調帳』は、下村は1558.333石で、幕府領分となっていることは、12月14日の『旧高旧領取調帳』の項で報告ずみ。

下村が1558.333石ということだと7000石に、5,400石ほど足りない。

『旧高旧領』には、下村の周辺に幕府領分の村々が、40ヶ村ほど列記されている。
この中のいくつか---たぶん、10ヶ村ほどが田沼意明に分与され、のち、田沼家が相良町に戻された---といっても領知は1万石に減知のままだが---ときにまた幕府の直轄地に復帰したにちがいない。

Photo_256
陸地測量部製 福嶋周辺 赤○=下村

下村に代表された7000石分の10ヶ村ほどを、明治21年に製作された地図と『旧高旧領』、『郵便番号簿』で推察してみようという、いってみれば、遊戯を試みた(いずれ、『福島県史』などで検証するまでのお遊び)。

入江野村  475.738
井野目村  469.200
大笹生村  824.131
大谷地村  753.293
下村   1558.333
赤川村    671.263
仁井田村 1229.734*
泉村    1119.311
南沢又村 1442.594
笹木野村 1298.486*
上大笹生村2218.507
庭坂村    979.486
下渡鳥村 1078.941*
在庭坂村 1202.679*
李平村     38.440
土船村    840.229*
桜木村  1278.916*
(*は地図で下村の近くに存在しており、可能性が高い)。

まあ、正確なところは、福島市在住の郷土史家の方か、市教育委員会の鬼平ファンの方からの教えを俟つしかない。

越後国頸城郡の3000石についての手がかりは、いまのところ、なし。

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