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2006.12.15

田沼意次の遺訓

田沼意次が70歳で、失意のまま、天明8年(1788)7月24日に卒(しゅっ)したことは、すでに記した。

彼の遺訓が子孫のもとに残っていて、『相良町史 資料編 近世(一)』(相良町 1991.3.30)に収録されてい、『同 通史編』に現代語訳が載っているので、そちらを引用する。

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田沼意次 『相良町史』より転載

人が守るべき正道はよく知られているようであるが、人には善と悪の人がおり、用いるべき人と用いざるべき人がいるものである。

(悪の人と用いざるべき人の)両者は我侭より発する事である。

もっともこの教えを知らない者はないと考えるが、学問のある者でもこの教えを別のように考えて、人が守べき正道を学問と名付けて、学びはするが、自己の行いとは別のもののようにし、芸のようにもて遊んでいる者がいる。

卿の行いは我侭次第に通行していることが多いが、これは勿論教え方が悪いのではなく、学ぶ者が能く心得るべきことである。
これにより先ず人が守るべき道にはずれた無道のないように、左の七ヶ条を示すので、よく守るようにすべきである。

第一、まず主君に対する忠節のこと。、仮りにも忘却致すまじきこと。当家(田沼家)においては、九代将軍家重侯、十代将軍家治侯には比類のない御厚恩を受けているのであるから、両代の御厚恩を決して忘れてはならない。

第ニ、親への孝行、親族に対する親しみはおろそかにせず、朝夕このことを心がけるべきである。

第三、一類(同族)中には申すにおよばず、同席の衆、付合のある衆へは表裏なく、疎意ないように心がけるべきである。
どんなに低い身分の者でも人情をかけるべきはかけて差別なきようにすること。

第四、家中の者たちに憐憫を加え、賞罰は依怙贔屓なきように心がけるべきこと。且つ用人、雑用人にもできる限り心配りをし、油断なく召仕うこと。
但し、家来に対しても我侭、無道の扱いをせず、邪な申付けをせず、家臣として一身を任せ、主君の命令は異議なく行い、その所をよくわきまえて憐憫を遣すように。
勿論、咎めに当たるべきことは相応に罰し、無罰ということはないようにすること。

第五、武芸は懈怠なく心がけ、家中の者たちに油断なく申付け、若い者は特別精を出し、他所から見ても見苦しくない芸は折々に見分けさせ、自身が見物することもよい。
且つ、武芸に心がけた上で余力があれば遊芸を嗜しなむのも勝手次第である。
但し、不埒な芸はしてはならないことは勿論である。

第六、権門の衆中に疎意なく、失礼がないように堅く守り、すべて公儀にかかわる事はどんなに軽いことでも大切に思い、諸事念を入れることが肝要である。

第七、諸家の勝手向きが不如意のことは一般的で、勝手向きが宜しいのは稀なことである。不勝手が募ると公儀御用も心ならず勤めがたくなり、軍役に差しつかえにもなるもので、武道に励み、領知ょを頂戴していることをよく知るべきである。この事は油断なく旦暮心がけることが肝要である。

右の条々ょ厳重に守り、朝夕忘れることなく心がけるべきであね。
人並みとちがって、世俗からのそげ者(変人)と称される者も間々いるが、この者は慎むべきである。
わざわざ少なめに記したが、この外にも心を用い、心を用い、人情の正道を怠りなく守るべきである。

(第七条には、「この条はとりわけ難しいことなので追記する」として---)

大身小身ともにすべて勝手向のことは、一年の収納をこれくらいと思っても、時により損毛があり、思いの外の減収があるものである。

また、支出は一年間これ程と思っても思いがけない吉凶のものいり、やむを得ない支出があり、また特別に支出が増えることも絶えずおこるものである。

したがって、収納が増えることは決してなく、支出が増すひとは極めて多いのである。

このような収支をくり返している内に勝手向はゆきづまるものである。

借金がたとえば1000両できると、その利息はたいてい1割は支出することになるから、知行100両分が減ったことに相当する。

もし大借するようになれば、その割合で減る分ーは増えるので、たとえ領地が半分になっても、その理をわきまえなければえ大借になり、建て直す術も尽きてしまうのである。

このことをよくよく心得て、聊かも奢りなく、無益の支出を省き、倹約を怠らないことが大切である。
もし、よんどころなきことで少しでも収支が悪くなったならば深く心にかけてやりくりすべきたである。

このことは役人たちへも厳重に申し付け、建て直しができるように処させ、相応の余裕金があるように少しでも油断ないように心掛けるべきである。

もっとも、そうだからといって、領内に無体な年貢を申付け、これによって財政不足を補うことは筋の通らないことで゜ある。
すべて百姓町人に無慈悲なことをすれば、必ず御家の害になるものである。いくえにも正直を以て万事にあたるべきである。

【つぶやき】
読むかぎり、心づかいのこまやかな、生活ぶりも堅実で、賄賂などを要求することのない領主とおもえるのだが。
また、学問と人格は別といっているのは、学問を鼻にかけて平気で人の道をふみはずしている幕閣を、暗に軽蔑・非難しているのかもしれない。

牧之原市の田沼意次プロフィール

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コメント

田沼意次のこと

封建時代にこれ程奥深く、思考を極めた人はいないので

はないかと思います。 それにしても先生の研究熱心に

は感服しております。 今の世に田沼意次に比較できる

政治家はいないのではないかと考えています。

投稿: edoaruki | 2006.12.15 22:41

>edoaruki さん

謙虚で、思慮深く、気くばりのきいた人みたいです。
松平定信---というか、一橋治済(はるさだ)側からは、成り上がりとしか見なかったのでしょうが。

田中角栄は、脇が甘いというか、金をむさぼりすぎましたが、比べてはいけませくん。品性が違いすぎます。

投稿: ちゅうすけ | 2006.12.21 09:46

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