相良藩士への退職金
12月7日の記事---相良城の請け取り で、田沼意次の居城だった相良城召し上げのとき、幕府が金1万3000両を提出させたことに触れて、「相良藩士たちの多くは失職するのだから、1両でも多く手にして去りたかろう」に、と記した。
河原崎次郎さん編著『城下町相良区史』(相良区 1986.10.1)は、離散藩士たちが手にした退職一時金の額を以下のように記録している。
金200両 物頭席
金170両 西広間席
金150両 給人席
金130両 近習席
金 80両 中小姓席
金 70両 中小姓並席
金 50両 徒士席
金 30両 坊主・小役人・小頭共
江戸詰はこの2割減だったという。
この退職金で、何年暮らしていけるか、想像するだけで身がすくむ。
『鬼平犯科帳』はしばしば、江戸の裏長屋での親子5人の生活費は、1年間に10両前後と報じている。
身分の高い仁ほど、再就職はむずかしくなろう。
領地での家臣数は360人前後だったと記されている。
1万3000両を400人の家臣に等分に割ったとして、1人あたり32両余。それでも、ないよりあったほうがいいにきまっている。
1万3000両は、岡部美濃守の岸和田藩や、警備と城破却に動員された掛川藩、駿州田中城、遠州横須賀藩、三州吉田城などへの動員費であったのであろうか。
約90年前の赤穂城召し上げのときの退職金や幕府への供出金などと比較してみたいともおもわないでもない。
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コメント
浪人は哀れ
徳川時代の藩は今でいえば会社でしょう。
会社が倒産すれば社員は失業します。
侍の再就職は現在の会社員よりも遙かに難し
かったでしょう。 対面や誇りを保たなけれ
ばならないから。
田沼意次のように自分の才覚で出世した者に
は一旦落ち目になれば誰も同情しない。
まして家来となれば尚更です。
江戸時期の侍は百姓になるか、商売をするか
して侍を辞める以外は救われないですね。
投稿: edoaruki | 2006.12.08 14:21
>edoaruki さん
おっしゃるとおりですね。
しかし、藩をリストラさせた人も、身勝手だとおもいます。
また、無能な藩主をかばわなければせならなかった家臣もつらいでしょうね。
投稿: ちゅうすけ | 2006.12.08 16:25