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2006.12.23

田沼意次の領知

このところ、『相良町史 通史編 上』(相良町 1993.9.29)を主な出典として田沼家にまつわる話をすすめている。

SBS学苑パルシェの〔鬼平〕クラスでともに学んでいる安池さんから、「引用している『相良町史』をみていると、どうも、後期田沼の部分をコピーしなかったのではないかと思えるので」と、その部分100ページ分ほどと、別に相良藩を理解するための20ページほどを送ってくださった。

まさに、1月の静岡行きで、県立中央図書館でコピーをとろうと予定していた箇所だったので、安池さんの推理力に舌をまいた。

送っていただいた中に、[宝暦8年(1758)と天明6年(1786)の田沼意次の相良領図]があった。
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宝暦8年といえば、将軍・家重によってさらに5000石を加増されて意次が大名格になった時期である。

天明6年は、失脚寸前の時期(長谷川平蔵が先手組頭に大抜擢された年でもある)。

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120_7『徳川将軍列伝』(北島正元編 秋田書店 1974.9.20)に、竹内 誠教授が意次の年表を掲出しておられるので、引用させていただく(ほんとうは、自分でつくるべきなのだが)。

領知図と年表は、意次の栄進の速さ---その能才ぶりと将軍の信頼の篤さ、そして周囲の嘆声と嫉妬、反発が聞こえてくるようである。

この領知の一部を復元した第4子・意正の手腕と得意はおもうべしだが、資料を手配くださった安池さんに、まずは感謝。

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