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2007.01.28

葵小僧、最後の押し入り順路(実行篇)

きのう、1月27日(土)の鬼平熱愛倶楽部は、史跡実証ウォーキングで、[2-4 妖盗葵小僧]の最後の押し込みコース、池之端仲町の骨董店[尚古堂]から、新シ橋北詰・佐久間町3丁目の下り傘問屋] [花沢屋五郎兵衛]方までを実地にあるいてみた。

なぜ? 昨日の当ブログに掲示したように、このコースには、大名の上・中屋敷や旗本の邸宅が多く、その分、辻番小屋がいたるところに設けられている(↑昨日のコンテンツは1行上の色変わりをクリック)。
そのために葵小僧一味は、特別警戒指令のでている町中を縫って押し込み先へ到達しなければならない。

配下の安全を最優先で考えるのが、リーダーたる者に課せられている責任である。

このプロジェクトを成功させるにあたって、葵小僧は事前に、配下の2人---風采はあがらないが芝居のうまい者を選んで、下谷長者町2丁目の斜(はす)向い---旗本家30軒ばかりが共同で設けている辻番(切絵図、中ほどの赤х印あたり)の前で偽喧嘩をさせ、殴られていた方が翌日、止めに入ってくれた辻番の番人へ、酒かなにかをお礼に届ける。

その後、疑われない程度の頻度で、所要の帰りとかなんとかいいつくろいながら、酒を置いて行く。

襲撃当日も、犯行時刻にほろ酔い加減になっているように見計らって昼過ぎにいつもより多い目の角樽を届け、さらに、葵小僧を乗せた町駕籠が通りぬける前に、件の配下が立ち寄って話しこむ。

そうそう、[2-4 妖盗葵小僧]をクリックで、物語のほかの細部を検証なさるのも、一興。

Photo_280

配下たちのほとんどは夕方前から、辻番小屋圏外の神田八軒町あたりの盗人宿(切絵左下の緑○)へ三々五々に集まっている。

で、他の辻番小屋を避けて、佐久間町3丁目---佐竹屋敷と向いの能勢邸の間の横路地へ。めでたく集結しえたのだが---。

つぶやき
江戸の朱引き---町奉行所の管轄管内は、大ざっぱにいって、70%が江戸城と諸大名・武家地、5%が道路・河川、5%が寺社地。残りの20%に、人口の半分にあたる町人が住んでいたといわれている。
したがって、今回のウォーキングのように、武家地の辻番小屋を避けての盗(つとめ)ばたらきには、周到な計画と準備が必要だった。

葵小僧は、逃路として、神田川に架かる新シ橋北詰の近くに、ひそかに、小舟を待たしていたろう。

なお、下り傘問屋〔花澤屋〕は『江戸買物独案内』(文政7年 1824刊)に3軒登録されている。

Photo_281

池波さんは〔花澤屋六右衛門〕と〔六兵衛〕から、〔五郎兵衛〕を創作、町をうっかり、「佐久間町3丁目」としたために、コースをむずかしくしてしまった。
「堀江町」なら、商業地区だから、木戸ぐらいですんだのに。

こうして、小説のロケーションを実地検分することで、江戸がより身近に感じられる---といっても、単なる懐古趣味ではない。
ことの計画と実施の学習のつもりである。

[要盗葵小僧]の項目明細は←の色変わりをクりック)。

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コメント

葵小僧の手下が下戸では偽喧嘩しても、酒の上のことでまぁまぁって丸く収めるってことにもならないし。

辻番の番人が下戸で、まんじゅう届けても鼻薬は効くとしても、正気だし。

犯行時刻前に、満腹で眠くなるほどのまんじゅう届ける、やはりうまくいかない。

犯罪の陰にお酒ありでしょうか

投稿: 下戸では難しいですかね | 2007.01.29 13:42

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