« 村上元三さん『田沼意次』(その5) | トップページ | 平岩弓枝さん『魚の棲む城』(その2) »

2007.01.03

平岩弓枝さん『魚の棲む城』(その1)

100_9平岩弓枝さん『魚の棲む城』(新潮文庫2004.10.1)

天明4年(1784)3月24日。

田沼山城守意知(おきとも)は、今日、未(ひつじ)の下刻(午後三時頃)若年寄御用部屋を退出、先輩の若年寄、酒井石見守(いわみのかみ)、太田備後守(びんごのかみ)、米倉丹後守に続いて中之間から桔梗(ききょう)之間へ進んだ。
その時、すぐ下の新御番所控えの中から一人の侍が出て来て、いきなり意知に斬りつけた。初太刀は意知の肩先三寸、深さ七分ほどの深傷(ふかで)を与えた。ニ太刀目は柱に切りつけ、その間に意知を除く三人の若年寄は羽目之間へ逃げ込み、意知もそれに続いが、下手人は追いすがって遮二(しゃに)無二(むに)、刀を突き出し、意知は脇差(わきざし)を鞘(さや)ごと抜いて相手の攻撃を防いだが、むこうはニ尺一寸もある太刀のことで、かわし切れず両股(りょうもも)にニ太刀刺された。
そこへ大目付の松平対馬守(つしまのかみ)忠郷がかけつけて下手人を背後から羽交締めにし、続いて目付の柳生主膳正(しゅぜんのかみ)久通が下手人の手から太刀を叩き落すようにして取り上げ、その後、漸(ようや)く御徒目付(おかちめつけ)どもが呼ばれて佐野善左衛門を押さえた。
(略)

酒井石見守忠休(ただよし) 71歳。出羽国松山藩主。2万5000石。
米倉丹後守昌晴(まさはる) 58歳。武蔵国金沢藩主。1万2000石。
太田備後守資愛(すけよし) 46歳。遠江国掛川藩主。5万石。
偶然に年齢順になったが、そうではなく、若年寄への任官順である。
したがって、御用部屋から退出するとき、前年に就任した田沼意知がもっともあとに従うのは当然といえる。

松平対馬守忠郷(たださと) 70歳。大目付。1000石。この件で200石加増。
柳生主膳正久通(ひさみち) 41歳。目付。600石。

佐野善左衛門政言(まさこと) 28歳。新番。廩米500俵。

「その、御一緒だった若年寄の方々は、意知様をお助けもせず、逃げたと---」
知らせに来た者は返事をしなかった。ただ、うつむいて唇を噛みしめるばかりである。
「どれほど、お口惜しくございましたでしょう。殿中とて、意知様は脇差をお抜きなさることもせず---」
江戸城では刀の鯉口(こいぐち)を切っただけで切腹というきまりであった。
(略)

田沼意次は刃傷の翌日、登城して将軍に対し、我が子意知の若年寄辞任並びにお暇頂戴(いとまちょうだい)を申し出た。
「若年寄の重職たる身で、凶刃(きょうじん)を受け、心ならずも上様の御傍をさわがせましたる段、不届(ふとどき)至極、また武門の恥辱にございますれば、何卒、山城守に御暇たまわりますよう---」
苦悩を面に見せず言上した意次に対し、家治は即座にこう答えた。
「その斟酌(しんしゃく)無用。役はそのまま、ゆるゆる養生し、元通り奉公するように---」
(略)

『徳川実紀』は、3月29日の項に、
○少老田沼山城守意知病あつきをもて、職ゆるされんことをこふといへども。なを心永く療養すべしと、近縁西尾隠岐守忠移(ただゆき)を召して伝へらる。(日記)

西尾忠移は、駿河・遠江に3万5000石を領する横須賀藩主で、十年数年前に、意知の3番目の妹を内室としていた。ことき39歳。

なお、この事件に対する松浦静山『甲子夜話』の記述。

|

« 村上元三さん『田沼意次』(その5) | トップページ | 平岩弓枝さん『魚の棲む城』(その2) »

020田沼意次 」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 村上元三さん『田沼意次』(その5) | トップページ | 平岩弓枝さん『魚の棲む城』(その2) »