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2007.01.02

村上元三さん『田沼意次』(その5)

天明6年(1786)8月26日
城内において、将軍・家治の病間への見舞いを阻止された意次は、家治が逝去していることを確信、早々と下城し、仏間へ入った。

ご三家をはじめ、一橋治済(はるさだ)、清水重好、そして御用部屋の人々は、すべて意次に背をむけている。そして意次を失脚させようと急先鋒に立ったのは、松平定信であった。
Photo_265「さりながら、老中職を召しあげられようとも、それがしは遠州相良の城主、五万七千石の大名であることには変りござりませぬ」
仏壇を仰ぎながら、意次は言葉をつづけた。
「西丸様、将軍職につかれたる暁は、これまでと同様の忠勤をはげむ所存を据えておりまする。この後のご奉公、ごらん下さいませ」
長いあいだ仏間に平伏したあと、意次は仏間を出た。
(略)

翌8月27日、幕命によって意次が老中を解任され、その後には所領の大部分を召し上げられたことは、村上元三さんは百もご存じ。
それでこのシーンを挿入したのは、読み手の気分を意次に共感させたいためであったろう。

田沼意次へのいわれのない悪意とデマゴーグが、定信派に流布されてから200年の歳月という塵埃が厚く積まれている。
この塵埃、一朝一夕には除けない。
村上元三さんは、それでも意次の冤罪を晴らしたかった。

意次と同時代にいて、田沼の引き立てを受けた長谷川平蔵宣以も、ひそかに、同じ思いだったにちがいないと想像する。

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