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2007.01.07

平岩弓枝さん『魚の棲む城』(その5)

【終章】

松平定信を溜之間詰(たまりのまづめ)に任命する件について、将軍家治(いえはる)が田沼意次に相談したのは、(天明5年 1785)十一月の終りであった。
「御三家、並びに一橋より強く推して参ったが、何如(いかが)したものか」
自分は気が進まぬと力なくいい切った将軍に対して、意次は、
「御三家、一橋様のご推挙にては止(や)むを得ますまい」
と答えた。
「主殿(とのも)は、それでよいのか」
家治は不安をむき出しにして異次をみつめた。松平定信が田沼意次に敵意を持ち、意知(おきとも)暗殺の黒幕だったらしいというのは、将軍の耳にも聞えている筈(はず)であった。そうした人間を溜之間詰にしたら、意次の立場が悪くなると憂(うれ)えている。それを承知で、意次は反対しなかった。松平定信が一橋治済(はるさだ)と手を組んだと知った時から、覚悟は出来ていた。

googleで「溜之間詰」を検索してみると、藤陽文庫殿席に「5日か7日に一度江戸城へ登城。 白書院で将軍家のご機嫌を伺い、溜之間に控える老中に挨拶して退出するのが常」とあった。
それだけ、将軍に親しく接触でき、政治向きの意見を述べることもできる地位ということで、老中職の一歩手前という見方もある。
もっとも、いきなり溜之間詰という幕臣はほとんどなく、京都所司代などの顕職を経てから許される。そんな経歴を持たない定信の例は、異例中の異例、最初にして最後の人事といえる。

この時、意次がおそれたのは、将軍家治の立場であった。
一橋治済はすでに我が子、豊千代を将軍の世子にしていた。すみやかに我が子が将軍職につき、自らが後見人として実権を握ることこそ望ましい。いってみければ、現在の将軍派邪魔な存在であった。権力欲のかたまりのような人物と、狂騒の気味のある松平定信が結べば、家治に対して何をしでかすかわからない。
(略)

『徳川実紀』の天明5年12月朔日の記述。
○松平越中守定信きこれより後出仕の時は溜間に候し、月次は白木書院。五節には黒木書院にいでて拝賀すべしと命じらる。これ宝蓮院尼(田安宗武未亡人)申請さるるによれり。さればその家の例とはなすまじと仰下されぬ。

家治の立場を安泰にするには、松平定信の願いをきき入れ、溜之間詰にし、老中同様の権力の座につかせるのが良策と意次゛は判断している。その上で、印旛(いんば)沼、手賀沼の工事と蝦夷(えぞ)地開発のニ件を、我が子忠徳(ただのり)が養子に入っている勝手掛老中格の水野忠友に托して自分ば隠居し、政事から退く決心を固めていた。
(略)

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コメント

今日、見つけて来ました、平岩弓枝さん『魚の棲む城』。
村上さんの上巻が、やっともう少しで読み終わるのですが、
早く読み出したいです。
自分の日記にも書きましたが、江戸は面白いです。

投稿: ぴーせん | 2007.01.08 00:10

>ぴーせんさん

お読みになったら、村上元三さんのものとともども、ご感想をお書き込みくださいますよう。

『魚が棲む城』は、平岩さんの何冊かの史伝ものの一つですが、よく出来ているとおもいます。しかし、『御宿かわせもみ』の平岩ファンには歯ごたえがありすぎるみたいで、新潮文庫はいまだに初刷のままです。

投稿: ちゅうすけ | 2007.01.08 11:48

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