長谷川伸師の評価
近所の図書館へ行ったついでに、なにげなく眺めた日本歴史の棚に、鶴見俊輔さんと網野善彦さんの対談集『歴史の話』(朝日新聞 1994.5.25)があるのが目に入った。
ご両所とも、ずっと気になっていた学者さんだが、著作を手にした記憶は薄い、で、さっそく借り出した。
前半は1992年の『朝日ジャーナル』誌に2号にわたって分載されたもの、後半部は翌年の『月刊Asahi』に掲載されたもの(両誌ともいまはない)。
いや、後半部が、とびきり面白い。
鶴見さんが、明治に、外国の学術書を、西周(にし・あまね)が一語一義に訳してしまったために、読解のスピードはあがったが、その語に包含しきれない余分な部分が切り捨てられてしまっていると告発。
これをうけて、網野さんが、史料も、東大をトップで卒業したような歴史学者は目もくれないはずの襖(ふすま)の下貼りになっている古文書の断片に、過去の人たちのほんとうの生活がみえると。
これに触発された。
『江戸名所図会』の長谷川雪旦の膨大な絵の中の人物たちの一人ひとりの(ポーズ)は、ぼくたちに、江戸からの貴重なメッセージを送ってくれているのだと。心して読みとらねば。
鶴見さんが、さらに弾劾口調で、歴史は文字だけでなく、内臓にぎゅっとくる感覚でも捉えないと、といい、
「それが消えていって、むしろ最後まで残った小学校出身の長谷川伸(しん 大正・昭和期の作家、劇作家)が、赤報隊(せきほうたい)の記録を書いたり、『日本捕虜志(ほりょき)』を書いた。長谷川伸が書いた歴史記録ものというのは面白いですよ。ああいうものを書き得たということ。これが講壇歴史家の裏側にある。大学卒でない歴史家はいなくなった1993年の現在の日本にとって、未来は暗いなあ(笑)」
『日本捕虜志』は、中公文庫 上・下 (1979.11.10)で遅ればせに読んだ。
戦国時代から日露戦争までの捕虜に対する人道的な処し方を膨大な例を挙げ、支那事変・太平洋戦争における日本軍のその扱いの理不尽を、暗に非難していた。
池波さんは、長谷川伸師の愛(まな)弟子をもって任じている。
この師から学んだことは多いと、つねづねエッセイに書いている。
これからほんのしばらく、長谷川伸師の影響について触れてみたい。
| 固定リンク
「209長谷川 伸」カテゴリの記事
- 長谷川伸師と新鷹会(2007.03.21)
- 「もう聞くことはないのか!」(2007.04.02)
- [女掏摸お富]と くノ一(2007.03.31)
- 〔新鷹会〕の勉強法(2007.03.29)
- 〔新鷹会〕を退会(2007.03.27)
コメント
僕も教えて下さったこの「歴史の話」の「一語一義」の部分、面白く読みました。英語の文献と比べると日本語の学問の本は、「日常語」と違う「学術語」を使っていますよね。そのせいで研究者は理論に詳しくても実際に目の前で起きている事象をそれと結びつけることが苦手だったりするように思います。一度自分の中で咀嚼して日常語にしなければならないのだろうと思います。
投稿: えむ | 2007.03.15 09:29
>えむ さん
ね、痛快だし、教示されることの多い対談ですね。対談としては、司馬遼太郎さんのものにも匹敵するみたい。
投稿: ちゅうすけ | 2007.03.15 13:49