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2007.03.19

長谷川伸師の筋肉

池波さんのエッセイ[長谷川伸]から、その門下に入った経緯を引用している。

100_22エッセイの収録文庫は『小説の散歩道』(朝日文庫  1987.4.20)だったが、10年後に編まれた[池波正太郎自選随筆集2『私の仕事』](朝日文芸文庫 1996.7.1)にも入ってい.る。

後者の巻末解題に、このエッセイ(池波さんは[随筆]というほうが好みかな)を収録した単行本と文庫が挙げられている。

『新年の二つの別れ』(朝日新聞社刊 1977.6.30)
『小説の散歩道』(朝日文芸文庫  1987.4.20)

2番目は[朝日文芸文庫]じゃなく、[朝日文庫]であることは、手元のがその日付で第1刷と奥付にあるから間違いない。

この解題でも、初出は、依然、不明のまま。まあ、書誌学めいたことをやっているわけではないから、これはこのまま不明でとおしておく。
池波さんの全蔵書の寄贈を受けた台東区の整理がすすめば、いずれ、明らかになることだ。

1977年(昭和52年)、54歳以前の池波さんが回想して書いた文としておく。

長谷川伸師の逝去は1963年6月11日。享年79歳。池波さんはその時40歳。親子ほどの年齢差。

15年遡る。1948年(昭和23年)。池波青年25歳。暑い日。長谷川伸さんは、入門志望の青年の前に下帯ひとつになって対していた。

眼前にある伸師のたくましい「ふともも」を見、
(60歳を越えた人の筋肉ではない)
とおどろいている池波青年に、

Photo_316「作家になろうという、この仕事はねえ、苦労の激しさが肉体をそこなうし、おまけに精神がか細くなってしまうおそれが大きいんだが---男のやる仕事としては、かなりやり甲斐のある仕事だよ。もし、この道へはいって、このことをうたがうものは、成功を条件としているからなんで、好きな仕事をして成功しないものならば男一代の仕事ではないということだったら、世の中にどんな仕事があるだろうか。こういうことなんだね。ま、いっしょに勉強しましょうよ」
(肖像写真は中公文庫『生きている小説』のカバー裏より)

これは、その日、興奮しながら帰宅(?)した池波さんが、師の言葉を思い出しつつ、ノートの書きつけたものであろう。何回にもわけて話されたことが、一つの文章になっている。

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コメント

朝日新聞で、たしか女性初の論説委員に上りつめたKさんとは、長いつきあい。
Kさんが笑いながら、「長谷川伸さんの記事が載ったら、神田の古書店の長谷川伸全集の値段が一挙に何倍にもあがったのよ」

その記事は、土曜日be赤版の第1面と第2面を使って、たしか『瞼の母』を中心にすえたもので、Kさんが書いた。池波さんが招じいれられた二本榎の屋敷の部屋や、書庫の写真も添えられていた。

記事になる前に、ほとんどただ同然だった長谷川伸全集を買っておくんだった。

投稿: ちゅうすけ | 2007.03.19 05:34

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