« 長谷川伸師邸の書庫 | トップページ | 長谷川伸師の筋肉 2 »

2007.03.23

『日本敵討ち異相』

100_25手元の中公文庫の長谷川伸『日本敵討ち異相』は、1974年(昭和49)5月10日に初版が出ている。
『中央公論』の連載は1961年(昭和36)12月号から翌年の12月号までの13篇。
企画・担当したのは、同誌の編集者だった綱淵謙錠さんと、文庫の解説でわかる。

単行本は、連載が終わった2年後の1963年(昭和38)だったらしいことを、池波さんが『図書新聞 (1963.4.13)へ寄せた書評で推察。書評はエッセイ集『おおげさがきらい』(講談社 2003.2.15)に収録されている。この年、池波さん40歳。

長谷川伸師は、この年の6月11日に、肺気腫による心臓衰弱で、聖路加病院で亡くなっている。享年79歳。
したがって、師は、病室で3年前に直木賞を受けた愛弟子の書評---というより讃辞の文を読んだとおもわれる。

この1冊におさめられた十三篇は、いずれも「敵討ち」を扱ったものだが、この小説が、中央公論に連載されているころ、私は毎月の発売日が待ち遠しかったものだ。
私どものように、時代小説を書いているものにとっては、著者のような大先達が、毎月々々、この短篇によってしめされた作家としての熱情と含蓄(がんちく)のふかさに、つくづくとおしえられることが多かったからである。

赤穂浪士による敵討ちが『忠臣蔵』という名で親しまれているように、日本人は仇討ちが好きである。
いや、復讐物語好きは、日本人にかぎらない、お隣の大陸にも欧米にもそのテの話は数知れないほどある。

ただ、江戸期の武士の敵討ちには、いくつかの決まりがあり、その決まりをめぐって当事者たちの人生の悲哀や蹉跌が生じた。そこに仇討ち小説がいまなお生まれる素地がある。

池波さんも、師の著作の書評の5年前(1958)に、日本3大仇討ちのヒーローの一人---[荒木又右衛門] (新潮文庫『武士の紋章』に収録)を発表している。

Photo_319直木賞を受賞した1960年(昭和35)には、歌舞伎『加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』に材をとった[実説鏡山-女仇討事件] (PHP文庫『霧に消えた影』に収録)と、[うんぷてんぷ](角川文庫『仇討ち』に収録)を執筆。
その後、独立短篇だけでも20篇近く、長編も『堀部安兵衛』(角川文庫)と『おれの足音』(文春文庫)があり、師の無形の先導による好篇も多い。

『日本敵討ち異相』にもどる。
1968年に出た新装版には、新鷹会の会長を永く勤めた故・村上元三さんが跋文を寄せ、「いつも筆の早い先生が、この中の一篇を書くために、およそ一週間かかっている。そのあいだ、いつもは柔和な先生の顔が、わたしたちにもこわいほど変っていた」と。

池波さんも、「これらの作品の資料となったものは、生半可(なまはんか)なものではない。二十余年間もあたためられ、機会あるごとに調査がつみかさねられ、徹底した追及のもとにあつめられたものだからだ」と、その労を偲ぶ。

長谷川伸師邸の書庫を覗く機会が幾度かあったが、集められた地誌の多さと史料にはいつも嘆息した。
(地誌の棚だけは写真に収めた)。

この膨大な地誌からも、題材がひろわれたのであろうか。

中央公論の誌上を飾ったのは13篇だが、戦時中、「空襲のサイレンを聞くと土中に埋め、解除のサイレンを聞くと掘り出した」と著者自身が打ち明ける”敵討ち”もの370件の中から、「異質のものばかり選」ばれた13篇である。「異質なものと言ったのは、人間と人間とがやった事を指しています。それは現在の人間と人間とがやっている事と、共通していたり相似であったりだと言うことです。そうして又、現代人が失った清冽なものだってあります」

Photo_320【つぶやき】[うんぷてんぷ]で、ヒロインの娼婦お君が、逃亡かたがた熱海へ湯治としゃれたとき、〔本陣今井半太夫〕の前を通って本町へ。
雁皮紙の製造元でもあるこの〔本陣今井半太夫〕は、その後、『鬼平犯科帳』ほかにもしばしば登場する。
池波さんがこの名を目にしたのは『江戸買物独案内』だとおもうが、文政7年(1824)刊のこの史料・全2,622枠を採録した『江戸町人の研究 第3巻』 (吉川弘文館)は、[うんぷてんぷ]の1960年よりも15年ほど後に刊行されている。
とすると池波さんは、どこで〔今井半太夫〕の名を見たのだろう。長谷川伸師の書庫に『江戸買物独案内』の現物があったのだろうか。

|

« 長谷川伸師邸の書庫 | トップページ | 長谷川伸師の筋肉 2 »

209長谷川 伸」カテゴリの記事

コメント

『仇討群像』(文春文庫 1980.6.22)には9話が収められており、『仇討ち』(角川文庫 1977.10.20)の8話と重なっている篇はない。

投稿: ちゅうすけ | 2007.03.23 05:42

朝日新聞社刊『長谷川伸全集』第11(1972.5.15)の「付録月報」に吉田健一さんは『日本敵討ち異相』と題したエッセイを寄せている。

長谷川伸氏の最後の著作とおもわれる「日本敵討ち異相」が出た時にこれを耽読した。(略)
殊に戦後の所謂、時代小説というものがその大半に亙って考証その他、著作の前提となるべきことを無視し、ただ読者の頭にある昔の時代というものをそのまま取り入れて封建的というような言葉に寄り掛っているのに飽きていた際に、この長谷川氏の本は読んで楽しむに足りるものだった。
これを時代小説と呼んでいいかどうかも解らない。寧ろ丹念に調べ上げた史実を材料に過去の時間を再現した歴史と言うべきで、それであるからこそ読むに堪え、こり頃の時代小説では滅多に望めないことであるその世界に遊ぶということを読者にさせてくれる。(略)

吉田健一さんほどの読み巧者にこのように言わせるだけのものを、『日本捕虜志』は備えている。

投稿: chuukyuu | 2007.03.25 18:57

朝日新聞社刊『長谷川伸全集』第11(1972.5.15)の「付録月報」に吉田健一さんは『日本敵討ち異相』と題したエッセイを寄せている。

長谷川伸氏の最後の著作とおもわれる「日本敵討ち異相」が出た時にこれを耽読した。(略)
殊に戦後の所謂、時代小説というものがその大半に亙って考証その他、著作の前提となるべきことを無視し、ただ読者の頭にある昔の時代というものをそのまま取り入れて封建的というような言葉に寄り掛っているのに飽きていた際に、この長谷川氏の本は読んで楽しむに足りるものだった。
これを時代小説と呼んでいいかどうかも解らない。寧ろ丹念に調べ上げた史実を材料に過去の時間を再現した歴史と言うべきで、それであるからこそ読むに堪え、こり頃の時代小説では滅多に望めないことであるその世界に遊ぶということを読者にさせてくれる。(略)

吉田健一さんほどの読み巧者にこのように言わせるだけのものを、『日本捕虜志』は備えている。

投稿: chuukyuu | 2007.03.25 18:57

朝日新聞社刊『長谷川伸全集』第11(1972.5.15)の「付録月報」に吉田健一さんは『日本敵討ち異相』と題したエッセイを寄せている。

長谷川伸氏の最後の著作とおもわれる「日本敵討ち異相」が出た時にこれを耽読した。(略)
殊に戦後の所謂、時代小説というものがその大半に亙って考証その他、著作の前提となるべきことを無視し、ただ読者の頭にある昔の時代というものをそのまま取り入れて封建的というような言葉に寄り掛っているのに飽きていた際に、この長谷川氏の本は読んで楽しむに足りるものだった。
これを時代小説と呼んでいいかどうかも解らない。寧ろ丹念に調べ上げた史実を材料に過去の時間を再現した歴史と言うべきで、それであるからこそ読むに堪え、こり頃の時代小説では滅多に望めないことであるその世界に遊ぶということを読者にさせてくれる。(略)

吉田健一さんほどの読み巧者にこのように言わせるだけのものを、『日本捕虜志』は備えている。

投稿: chuukyuu | 2007.03.25 18:57

朝日新聞社刊『長谷川伸全集』第11(1972.5.15)の「付録月報」に吉田健一さんは『日本敵討ち異相』と題したエッセイを寄せている。

長谷川伸氏の最後の著作とおもわれる「日本敵討ち異相」が出た時にこれを耽読した。(略)
殊に戦後の所謂、時代小説というものがその大半に亙って考証その他、著作の前提となるべきことを無視し、ただ読者の頭にある昔の時代というものをそのまま取り入れて封建的というような言葉に寄り掛っているのに飽きていた際に、この長谷川氏の本は読んで楽しむに足りるものだった。
これを時代小説と呼んでいいかどうかも解らない。寧ろ丹念に調べ上げた史実を材料に過去の時間を再現した歴史と言うべきで、それであるからこそ読むに堪え、こり頃の時代小説では滅多に望めないことであるその世界に遊ぶということを読者にさせてくれる。(略)

吉田健一さんほどの読み巧者にこのように言わせるだけのものを、『日本捕虜志』は備えている。

投稿: chuukyuu | 2007.03.25 18:57

朝日新聞社刊『長谷川伸全集』第11(1972.5.15)の「付録月報」に吉田健一さんは『日本敵討ち異相』と題したエッセイを寄せている。

長谷川伸氏の最後の著作とおもわれる「日本敵討ち異相」が出た時にこれを耽読した。(略)
殊に戦後の所謂、時代小説というものがその大半に亙って考証その他、著作の前提となるべきことを無視し、ただ読者の頭にある昔の時代というものをそのまま取り入れて封建的というような言葉に寄り掛っているのに飽きていた際に、この長谷川氏の本は読んで楽しむに足りるものだった。
これを時代小説と呼んでいいかどうかも解らない。寧ろ丹念に調べ上げた史実を材料に過去の時間を再現した歴史と言うべきで、それであるからこそ読むに堪え、こり頃の時代小説では滅多に望めないことであるその世界に遊ぶということを読者にさせてくれる。(略)

吉田健一さんほどの読み巧者にこのように言わせるだけのものを、『日本捕虜志』は備えている。

投稿: chuukyuu | 2007.03.25 18:57

朝日新聞社刊『長谷川伸全集』第11(1972.5.15)の「付録月報」に吉田健一さんは『日本敵討ち異相』と題したエッセイを寄せている。

長谷川伸氏の最後の著作とおもわれる「日本敵討ち異相」が出た時にこれを耽読した。(略)
殊に戦後の所謂、時代小説というものがその大半に亙って考証その他、著作の前提となるべきことを無視し、ただ読者の頭にある昔の時代というものをそのまま取り入れて封建的というような言葉に寄り掛っているのに飽きていた際に、この長谷川氏の本は読んで楽しむに足りるものだった。
これを時代小説と呼んでいいかどうかも解らない。寧ろ丹念に調べ上げた史実を材料に過去の時間を再現した歴史と言うべきで、それであるからこそ読むに堪え、こり頃の時代小説では滅多に望めないことであるその世界に遊ぶということを読者にさせてくれる。(略)

吉田健一さんほどの読み巧者にこのように言わせるだけのものを、『日本捕虜志』は備えている。

投稿: chuukyuu | 2007.03.25 18:57

朝日新聞社刊『長谷川伸全集』第11(1972.5.15)の「付録月報」に吉田健一さんは『日本敵討ち異相』と題したエッセイを寄せている。

長谷川伸氏の最後の著作とおもわれる「日本敵討ち異相」が出た時にこれを耽読した。(略)
殊に戦後の所謂、時代小説というものがその大半に亙って考証その他、著作の前提となるべきことを無視し、ただ読者の頭にある昔の時代というものをそのまま取り入れて封建的というような言葉に寄り掛っているのに飽きていた際に、この長谷川氏の本は読んで楽しむに足りるものだった。
これを時代小説と呼んでいいかどうかも解らない。寧ろ丹念に調べ上げた史実を材料に過去の時間を再現した歴史と言うべきで、それであるからこそ読むに堪え、こり頃の時代小説では滅多に望めないことであるその世界に遊ぶということを読者にさせてくれる。(略)

吉田健一さんほどの読み巧者にこのように言わせるだけのものを、『日本捕虜志』は備えている。

投稿: chuukyuu | 2007.03.25 18:57

朝日新聞社刊『長谷川伸全集』第11(1972.5.15)の「付録月報」に吉田健一さんは『日本敵討ち異相』と題したエッセイを寄せている。

長谷川伸氏の最後の著作とおもわれる「日本敵討ち異相」が出た時にこれを耽読した。(略)
殊に戦後の所謂、時代小説というものがその大半に亙って考証その他、著作の前提となるべきことを無視し、ただ読者の頭にある昔の時代というものをそのまま取り入れて封建的というような言葉に寄り掛っているのに飽きていた際に、この長谷川氏の本は読んで楽しむに足りるものだった。
これを時代小説と呼んでいいかどうかも解らない。寧ろ丹念に調べ上げた史実を材料に過去の時間を再現した歴史と言うべきで、それであるからこそ読むに堪え、こり頃の時代小説では滅多に望めないことであるその世界に遊ぶということを読者にさせてくれる。(略)

吉田健一さんほどの読み巧者にこのように言わせるだけのものを、『日本捕虜志』は備えている。

投稿: chuukyuu | 2007.03.25 18:57

朝日新聞社刊『長谷川伸全集』第11(1972.5.15)の「付録月報」に吉田健一さんは『日本敵討ち異相』と題したエッセイを寄せている。

長谷川伸氏の最後の著作とおもわれる「日本敵討ち異相」が出た時にこれを耽読した。(略)
殊に戦後の所謂、時代小説というものがその大半に亙って考証その他、著作の前提となるべきことを無視し、ただ読者の頭にある昔の時代というものをそのまま取り入れて封建的というような言葉に寄り掛っているのに飽きていた際に、この長谷川氏の本は読んで楽しむに足りるものだった。
これを時代小説と呼んでいいかどうかも解らない。寧ろ丹念に調べ上げた史実を材料に過去の時間を再現した歴史と言うべきで、それであるからこそ読むに堪え、こり頃の時代小説では滅多に望めないことであるその世界に遊ぶということを読者にさせてくれる。(略)

吉田健一さんほどの読み巧者にこのように言わせるだけのものを、『日本捕虜志』は備えている。

投稿: chuukyuu | 2007.03.25 18:58

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 長谷川伸師邸の書庫 | トップページ | 長谷川伸師の筋肉 2 »