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2007.03.24

長谷川伸師の筋肉 2

池波さんが、長谷川伸氏を師とした経緯を、エッセイ[長谷川伸] (『小説の散歩道』(朝日文庫  1987.4.20)から引いた([長谷川伸師の筋肉]
2007.3.19)。

100_26書庫の片隅から『青春忘れ物』(中公文庫 1970.8.10)が出てきた。
池波さん自身の[文庫版あとがき]によると、1967年(昭和42)から翌年秋にかけて『小説新潮』に12回連載され、1969年(昭和44)の早春に毎日新聞社から単行本ででている。

しかし、講談社版『完本池波正太郎大成 別巻』の年譜からは、『小説新潮』連載の記録がすぽっと抜けているようなので、[恩師]が掲載された月号を特定できない。いつか、『小説新潮』の編集部に確認を依頼したい。

[恩師]によると、長谷川伸師から戯曲の指導を受けようとおもいたった池波青年は、

それには先ず、何よりも新しい自分の脚本を持参して見ていただかねばならない。
半年ほどの間にニ篇の脚本を書き、手紙を差しあげておいてから、私は二本榎の長谷川邸へおもむいた。
むろん、先生にお目にかかるつもりはなく、ただ脚本を持参して、
「おひまの折にお読みくださいまして、いろいろとお教えいただけましたら---」
そのつもりであった。

この部分は、[長谷川伸]では省略されている。
さらに、玄関へ入り、奥さんの応対があった。

私は先生にお目にかかるつもりで来たのではない、と何度も遠慮したが、声をききつけたらしく、いきなり奥から長谷川氏があらわれた。(略)
「脚本は読んでおく。その上で、もう一度やって来給え」
と、氏はいわれた。
私は頭から水をかぶったような汗で、しどろもどろに何をいったのかおぼえていないけれども、そのとき長谷川氏は私の頭から足もとを凝と見まわし、
「君はよい体をしているねえ」

そのときの池波さんは、青年らしく痩せてはいたが、長谷川伸師から「均整がとれている」「ぼくの若いときと、体つきがよく似ているよ」と認められた。

エッセイ[恩師]は、長谷川伸師が下帯ひとつで応対したのは、それから数カ月後のこととしている。

眼前にある伸師のたくましい〔ふともも〕を見、
(60歳を越えた人の筋肉ではない)

池波青年がおどろいたところまで、2007年3月19日の記に書いた。
なんだか、おさらいをしたみたいになった。不手際、申しわけない。

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