« 寛政重修諸家譜(4) | トップページ | 寛政重修諸家譜(6) »

2007.04.09

寛政重修諸家譜(5)

住まいに近い区図書館で、検索用パソコンを借り、栄進舎版『寛政重修諸家譜』(大正6年刊)の公的な所蔵先を探した。

ぼくが勝手に「エンジ版」と呼んでいる栄進舎刊行の同『寛政譜』を、池波さんが1955年ごろ、大枚20余万円で購(あがな)ったことは、2007年4月6日のこのブログ 『寛政譜(2)』に報告している。

検索により、江東区深川図書館に蔵されていることがわかった。
同館は、清澄3丁目3-39 清澄公園の一隅にある。公園は、久世大和守(下総国関宿藩4万8000石)の下屋敷だったところ。
 
さっそく、同館すぐの福住に住む、ハンドルネーム〔永代橋際蕎麦屋のおつゆさん(鬼平熱愛倶楽部メンバー)に長谷川平蔵家の項のコピーをお願いした。

池波さんの読み間違いともおぼしい、亡父・平蔵宣雄の続柄を確認するためである。

〔おつゆ〕さんに依頼してから、全9巻がそろっているのかどうか、心配になったので、同館に電話で確かめた。
エンジの装丁の、栄進舎により、大正6年刊。全部で9巻です」
そう告げると、係の人は、
「書庫へ行って調べてくるから、このまま待っていてください」
_60ややあって、
「ありました、エンジの装丁でいいのですね?」

臙脂(えんじ)? 台東区の池波正太郎記念文庫に復元されている書斎の栄進舎版はグレーのハード・カヴァーだったような。

〔おつゆ〕さんに、間違ったものを依頼していたら申しわけない。
すぐ、深川図書館へ出向いた。

出してきてくれた『寛政譜』は、たしかに大正6年(1917)刊のものに間違いないが、装丁は臙脂。「この表紙を撮影したい」
というと、先刻、電話に出た上役らしい事務所の男性が現れ、写真の使用目的などを問う。
当ブログに掲示すること、森下文化センター鬼平講座を担当していること、江東区地域振興財団へ出向して全文化センターを統括している0さんと親しいことなどを告げる。

「なにしろ、古い史料なので、傷んだ装丁を図書館側でやり直しているのでしょう」
いわれて背文字をみると、たしかに装丁しなおした風情だ。

3階の事務室で撮影。

それで、また、疑問が生じた。復元された池波書斎で、栄進舎版の装丁は「グレー」と思いこんでしまったが、あれも、古書店へ売った人が自家装丁した表紙ではないのかと。

〔おつゆ〕さんからのファクスの奥付には、【非売品】とある。

Photo_336

どういう形で刊行されたのだろう? 
さらに、疑問が増えた。

|

« 寛政重修諸家譜(4) | トップページ | 寛政重修諸家譜(6) »

212寛政重修諸家譜 」カテゴリの記事

コメント

永代橋際蕎麦屋のおつゆさんご苦労様です。
深川図書館での調査ありがとうございます。

お蔭さまでこちらは居座っているだけで情報を読ませてもらってます。

しかしながら一つの疑問が解消されると新たな疑問の誕生とは。

投稿: 靖酔 | 2007.04.09 08:13

土曜日の朝には先生からの依頼を受けていたのに一日遅れ。結果、先生ご自身が図書館を訪ねることになったこと。そのことからまた新たな探求のはじまりとは・・。

先生の尽きる事のない、意欲的な研究の片鱗を垣間見た思いでした。次々に公開される研究資料をますます有難く拝見せねばとも痛感してます。


このたび、図書館でスムーズにコピーする事が出来たのは、たまたま至近距離をウオーキング中でした。
高川さん、大野さん、石橋さんのご協力を頂いてできたことです。

投稿: 永代橋際蕎麦やのおつゆ | 2007.04.09 09:14

皆様お疲れ様です。

4月5日のちゅうすけさんの問いかけに「えむ」さんの探索が始まり・・・・今度は「おつゆ」」さんが、グレー版の資料のコピーを依頼され、至急しなければと時間の捻出に苦労されているのを知っていました。

熱愛のメンバーと共にいった資料のある深川図書館で、すでに午前中に同じ資料を調べて行った方がいることを知って「おつゆ」さんはそれは一体「?」と驚かれたことでしょう。

今日それが解明いたしましたね。

皆様のすばやい行動と努力でお陰で謎が次々と解け、それをブログで読ませていただく幸せを感じております。

また、一つ謎が増えました。研究ってこうやって継続され解明されていくのですね。

投稿: みやこのお豊 | 2007.04.09 13:43

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 寛政重修諸家譜(4) | トップページ | 寛政重修諸家譜(6) »