宣雄、先任小十人頭へご挨拶
鬼平こと長谷川平蔵宣以(のぶため)の政敵というか、平蔵を目の敵(かたき)にした2人の仁のうちの1人が、森山源五郎孝盛(たかもり)である。
この仁の性格は、2006年6月8日の[『鬼平犯科帳』のもう一つの効用]にある程度記しているから、色変わりのタイトルをクリックしてお読みいただきたい。
この仁の随筆集『蜑(あま)の燒藻(たくも)』に、田沼意次の時代、新しく役付きになったら先任のご同役を高級料亭へ招待して挨拶しなかったら、あとでとんでもない意地悪をされる。手土産も、当時、江戸一番の菓子舗といわれた〔鈴木越後〕のものを持たなさいと、ひどい目にあう。〔鈴木越後〕の菓子だけで1人あたり1両(10万円から20万円に換算)近くもかかる---と書いている。
(江戸一番といわれた菓子舗〔鈴木越後)『江戸買物独案内』(1824)
森山源五郎は、田沼を追い落とした老中首座・松平定信にべったりで、田沼時代のことは大げさに誹謗して、定信時代を謳いあげる習癖が顕著だ。したがって、田沼時代を誹謗した記述は、5割引きから7割引きで読むべきであろうと思っている。
しかし、いまでも歓迎会、歓送会はあるわけで、ただ、幕臣たちのそれは個人負担だったようなのだ。ま、小十人組頭に新任の宣雄の場合は、家禄400石、小十人組頭の格は1000石高---600石の足(たし)高が在任中は支給されるわけだから、新任ごあいさつ宴会の出費は仕方があるまい。
問題は、料亭の選定。長老(最年長)の2番組頭・佐野大学為成(ためなり)の屋敷に近いところか、次老(長老の次に年長)の10番組頭・山本弥五右衛門正以(まさつぐ)も考慮する。
佐野為成の住まいは北本所南割下水ぞい、山本正以のそれは四谷内藤新宿とあまりにもかけはなれていすぎる。
そういう場合は、最長在任者である8番組頭・仙石政啓(まさひろ)に意見を求める。この仁の屋敷は本所林町4丁目、竪川(たてかわ)ぞい。
その意見は、山本どのは駕籠で送ればよろしい。東両国の料亭〔青柳〕でいかがかな---と。
手土産は、なにも〔鈴木越後〕をはりこむことはない、元飯田町の〔壷屋播磨〕で十分---とも教えてくれた。
(元飯田町中坂の菓子舗〔壷屋播磨〕)『江戸買物独案内』(1824)
2カ月前にご挨拶宴会をした4番組頭・1800石の長崎どの(元亨 もととを)は、足高も出ぬゆえと、これ以下の格の料亭であったぞ---と笑った。
幕臣の世界は、なにかにつけて、とかく、格づけがうるさい。
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