松平武元後の幕閣
いわゆる[田沼時代]を、何時からいつまでとみるかは、史家によっていろいろである。
老中首座・松平右近将監武元(たけちか)の没後以降とする見方も、一理ある。
武元は、享保の改革を主導した8代将軍・吉宗から後事を託されていたから、いかに田沼に構想があっても、武元の了解なしでは腕がふるえなかったとも見られるからである。
そこで、武元没後の幕閣リストをつくってみた。
青○=松平武元
赤○=田沼意次
緑○=田沼意知
黄○=松平康福 娘が意知の室
ながめているだけで、さまざまな妄想が、雲のように湧いてきて、飽きないが、ほかの人はどうなんだろう。
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コメント
先ほどから眺めております、、このリストと上記の寛政,天明の年代のナンバーとの関連が私にはよくわからないのですが・・・・・
大変申し訳ございませんが、教えていただけないでしょうか。
投稿: みやこのお豊 | 2007.08.02 12:04
左から右へ、年がすすみます。
線は、在任期間です。
投稿: ちゅうすけ | 2007.08.02 12:13
午前7時、4時から行っていたオフィスから大急ぎで帰って、日進市の戦友のI君へ電話。
いただいている講義録の、勘定奉行・石谷(いしがや)備後守清昌の前妻は、新見但馬守正言(まさこと)の長女で、田沼意次の妹が嫁いだことになっている正言の嫡子・新見豊前守正則の姉なのに(『寛政譜』)、I君の講義録では義妹になっていた。
「訂正していいかね?」
「そうだった? じつは、そこまではあたってないんだよ」
「じゃあ、そういうことに。それから、講義録に一ヶ所だけ、百姓一揆って書かれているんだけど、ほかのヶ所の農民一揆に統一していいかね? ほら、網野善彦さんが、百姓と農民は違うっていってるしさ---」
「網野さんは中世のことをいってるんだろうけど、意識はしないで書いてしまってるから、農民一揆でいいよ」
ほんとうのことをいうと、田沼家の『寛政譜』では、意次の妹が新見豊前守に嫁いだことになっているが、新見家の『寛政譜』では、田沼の父・意行の娘としている。
これは当然の記述で、『寛政譜』では、男子はすべて父の男、女子はすべて父の女---としている、が、そのことをI君に告げる必要はない。
投稿: ちゅうすけ | 2007.08.02 12:18
ありがとうございます。特別なナンバーかと思って、考えてしまいました。
投稿: みやこのお豊 | 2007.08.03 07:47