« 『よしの冊子(ぞうし)』(14) | トップページ | 『よしの冊子(ぞうし)』(16) »

2007.09.16

『よしの冊子(ぞうし)』(15)

よしの冊子(寛政2年(1790)3月21日より) 

一. 松平左金吾どのが同役方のところへ参られた節、これは老中・(松平)定信侯の手製のものだといって鰹の塩辛を差し出されたよし。
定信侯のご領地の白河には海はない。(定信の越中守にかけて)越後でなら鰹が漁(と)れることもあるかもしれないが……。
ご老中が塩辛なんぞをおつくりになるはずがないことは見えすいているではないか。
左金吾どのとしては、ひけらかしたいのだろう。
ありようは、どこかの藩からのご老中への献上品のお裾わけを貰い、それを自家製塩辛ということにしたのだろう、ともっぱらの噂。

一. 佃島の無宿人の人足寄場のことはいろいろと話題にのぼっているが、どうせ長つづきはすまい、まあ、発案者で運営責任者の長谷川平蔵が担当している期間だけのことだろう、との声が多い。
無宿人どもも、なーに、きついことはない、長谷川のところへ6年の年季奉公へ行ったとおもえばいいのだと申してるよし。

一. 長谷川は島奉行というのに任命されたよし。

  【ちゅうすけ注:】
  平蔵が貰った辞令は、先手組頭として火盗改メをつづけながら、
  人足寄場の〔取扱〕を命じるというもので、この隠密の報告書がい
  うような〔島奉行〕ではなかった。
  が、世間では〔奉行〕と俗称していたのかもしれない。 
  平蔵の後任の村田鉄太郎昌敷(まさのぶ)は〔寄場奉行〕として
  発令された。
  まあ、奉行といっても上は〔寺社奉行〕から下は〔羽田奉行〕あた
  りまでピン・キリだから、平蔵村田の〔寄場奉行〕に立腹するま
  でもないはずだが、平蔵は内心、不愉快だったらしい。 
  『夕刊フジ』の連載コラムの、平蔵をけしかけた[怒れ、平蔵]

「そうか、平蔵は本気で怒っていたんだ」
『御仕置例類集』に収録されている火盗改メ長官・長谷川平蔵の伺い件数を見ていて考えなおした。
『御仕置例類集』は、火盗改メや各地の町奉行、代官や甲府勤番などが量刑に自信がないとき、幕府の最高裁判所である評定所へ裁可をあおいだ伺いと、それらへの回答の集大成だ。
最高裁判官の構成は寺社奉行と勘定奉行、町奉行。大目付や出張してきた地方の町奉行が臨席することもある。
平蔵は、足かけ8年におよぶ任期中の116の事件に関与した300人の処置について伺っている。
平蔵側が「この量刑にしたいが---」と伺った案の30数件に対して、評定所が1ランク重い裁決をくだしているので、当初「平蔵はやっぱり慈悲深い」と感銘を受けた。
しかし、寛政4年(1793)年から伺い数が急増。
同6年にいたっては74通という異常さ。これだけ大量の伺いをあげた火盗改メは空前絶後だ。
そこで平蔵の思惑を推量して、ハタと思いあたった。
寛政4年6月、平蔵は丹精こめて創設し運営を軌道にのせた人足寄場取扱を解任されている。
後任は家禄400石の長谷川家より数ランクも下、御目見もかなわなかった御家人の村田鉄太郎昌敷だった。
正式の職制となった寄場奉行として、職務手当も200俵20人扶持さえつけられた。
つまり幕府---というより人足寄場の創設を命じた老中首座・松平定信は、平蔵が血を吐くおもいまでして成功させた事業を、御家人なみの仕事と見くだしたことになる。
これで立腹しなかった男じゃない。
怒れ! 平蔵
が、平蔵は中央政府役人、老中へなまに怒りをぶつけるわけにはいかない。
そこで、裁判権を持っている火盗改メにもかかわらず、小博奕やねずみばたらきのような小さな盗みの量刑を、わざわざ評定所へうかがい、事務を輻輳させることで鬱憤をはらした。
いや、そうとしか判断できない。寛政5年には評定所側の裁定よりも重い刑を13通も上申している。
見込まれる裁定よりも1ランク軽い刑を上申することの多かった平蔵が急に、だ。
評定所における量刑は、与力たちが過去の判例を参照して案をつくり、三奉行の決裁を受ける。だから火盗改メからの量刑案が1ランク軽めだったり2ランク重めだったりでふらふらしていると、与力たちはそれだけ余計な神経を使って判例を検証しなければならなくなるわけ。
いや、あなたの部下からのEメールやあげてくる稟議書に、文法上の間違いや誤字脱字が突然多くなったら、その部下はあなたか会社に不満を抱いた、と疑ってみたら。
え? 彼が起草する文章の誤字脱字はいつものこと、もともと文章力がないのだと? それなら結構。


与力の佐藤某も以後は島掛りに命じられ、10人扶持の役料(原米、1日5升。1升= 100文とすると2朱=2万5000円。年に912万5000円)が決まったらしい。
そうなったら(牢獄奉行の)石出帯刀がおもしろくなかろうとの噂されている。毎日佃島を見廻る与力同心はそっちで飯などを炊いてもらい(もっとも米は持参)、ほかにも弁当などを持参するわけだが、出費がふえて困ると愚痴っているよし。
無宿島はとてもじゃないが続くまい、とこの節は長谷川平蔵の評判が悪いそうな。
(初年度の、米500俵、金500両の)お手当金ではの不足で、平蔵はいろいろと工面しているようだが、それぐらいのことではなかなか続くまいといわれている模様。

|

« 『よしの冊子(ぞうし)』(14) | トップページ | 『よしの冊子(ぞうし)』(16) »

221よしの冊子」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 『よしの冊子(ぞうし)』(14) | トップページ | 『よしの冊子(ぞうし)』(16) »