『よしの冊子(ぞうし)』(22)
『よしの冊子』(寛政2年(1790)12月1日 つづき)より
一、四谷大番町に悪党が1人いた。
赤坂・薬研坂(港区赤坂5丁目と7丁目の間の坂)上の与力も悪党で、このたび捕らえられた赤坂見附の足軽と同類のよし。
天野山城守(康幸 やすゆき 1000石廩米300俵 小普請組支配ののち寄合 この年、69歳)の孫(仙橘か熊之丞、あるいは末吉)、新庄能登守(直宥…なおずみ 700石 作事奉行を経て一橋家老 この年、すでにいない)の倅(直清? なおきよ 小姓組。前年に31歳で致仕)の評判もよろしくない。これは一橋の家老を勤めたあとのよし。
本所の多田薬師の別当は諸道具から畳まで残らず舟2艘に積み、盗んで行かれたよし。この2艘は両国にもやっているが、1艘の船主は竪川通りの者らしいが、もう1艘の持ち主は一向にわからないよし。
一、佐橋長門守(佳如…よしゆき 1000石 日光奉行 この年、51歳)の屋敷へも入り、妻女をしばり、そのほか家来も残らずしばり、諸道具一切を奪い取ったよし。表長屋まわりにもそれぞれに抜き身を持たせ、長屋を囲って中からは1人も出てこられないように見張り、帰りがけには大門を開いて高張り提灯で引きあげて行ったよし。
一、青山六道辻の同心の家へ入った押し込みは3人だったよし。同心は宿直で留守だったので、家にいたのは妻と下女だけ。
この2人を犯した上、あったものすべてを奪って行ったと。梶川庄左衛門(秀澄 ひですみ 400俵。御先手弓組頭)の組子のよし。
一、伝通院前の大工のところへ入った賊は、妻ばかり犯して道具は何も盗らず、「蝋燭はあるか」と聞き、「ない」と答えると、「そんならよい。また来る」といって帰っていったよし。
一、水道町の両替屋へ入った賊は、ただ鳥目20貫(4両弱=80万円)ださせ、「それ以上は要らない」といって帰って行ったよし。
本所で老夫婦だけの貧しい家へ入った賊は、何も盗んでいくものがなかった上に、金子1分(約5万円)を置いて行ったよし。
麻布・日ヶ窪の女医師の家へ入った賊は、大勢で妻(嫁?)を犯して引上げて行ったよし。
【ちゅうすけ注:】
葵小僧のような悪党は、けつこういたわけで、これでは、長谷川
組だけでは手がまわりかねた。
レイプを受けた家で、届けていない被害者も多かろう。
先手組で番についていない組が夜回りを命じられたのも当然。
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