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2007.10.06

『よしの冊子(ぞうし)』(34)

『よしの冊子』(寛政4年(1792)3月22日)より

一、(久松)松平左金吾定寅 さだとら 51歳 2000石)殿はとかく手荒で、万事に強すぎるので人びとが困っているよし。
なにかにつけて西下(老中首座:松平定信)の名を出して威勢がいいので、御先手頭同役衆も「左金吾、左金吾」と持ちかけているよし。
  【ちゃうすけ注:】
  松平定信は、10歳の時に3卿の一つ---田安家から、家康の実母・於大の方の再婚先・久松家のゆかりの白河藩(11万石)へ養子に出された。
  左金吾は、同じ久松松平ということで、老中と縁がつながった。

この節、御鎗奉行の席が空いたので、御持の高尾孫兵衛信憙 のぶき。800石。御持弓の頭。66歳。のち新番の頭へ)は(御持弓の頭を)久しく(約15年間)勤めて老衰ゆえ、大方、孫兵衛が次の任へ移ったその後は左金吾殿がつくだろうが、さてさて困ったもの、さぞ、やかましかろうと噂して恐れているよし。
いずれにしても手荒で、御先手一統が困りきっているよしの沙汰。

一、長谷川平蔵は金5枚をいただいて寄場取扱いを免じられ、大いに力を失っていると。
長谷川は寄場に自腹を切って物心ともに注ぎ込んだよし。
もっとも、これも眉つばのところもないではないが、あれほどに骨を折ったのだから御加増かお役替えでもありそうなもの、可哀そうに5枚ばかりではむごすぎると噂されているよし。

それに引き替え、中川勘三郎忠英 ただてる 40歳 1000石 目付 のち長崎奉行)は川々掛りでご褒美5枚をいただいたよし。
もっとも中川は自分のご褒美に替えて、出精した支配の者どもへ別にご褒美を願い出ているよし。この願いどおりに配下の者たちへご褒美が出、またまた自分へも定式どおりにいただければありがたいといっているよし。
もっとも、中川のご褒美は思いもかけなかったことといっているよし。
  【ちゅうすけ注:】
  中川勘三郎は関東の川々の普請を監督して、寛政4年に賞された。どうやら定信べったりの一人のもよう。

一、麹町(天神前)の京極加賀守高尚 たかなお 但馬国豊岡藩主 1万5000石)殿の辻番になっていた大泥棒1人、ならびに右の配下の者2、3人が長谷川平蔵の手の者に召し捕られたよし。
辻番にいたのは7、8年来の盗賊で、先達てから町奉行で狙っていたが捕らかねていたところを、このたび、長谷川が捕らえたよし。捕方がじつにあざやかだと噂されているよし。
  【ちゅうすけ注:】
  この件を『夕刊タフジ』の連載コラムに使ったのは、 『よしの冊子(ぞうし)』(6) 

一、諸組の同心の指物の件。ただいままでに頭々の印をつけている組と、その組々の合印を染めている組とがある。
ところで、組の合印組はそのまま何年でも使えるが、頭の印をつけている組は頭が替わるたびに練絹や装束、革などを受けとっているとか。
御持組7組のうち、組合印のところが2組、そのほかの5組が頭の印。
このたび、指物の合印の寸法などは指定どおりにするように。この際、指定どおりに染めておけば、頭が替わっても5組は新しい練絹などを受けとらなくてもすむ。
費用も節約できるから、組々の与力、同心ともに組合印でいくように。
布を切り損じしたときには、御納戸に検分してもらって替わりを受けとるようにすれば、これも経費節減に役立つ。指物にかぎらず、諸組の絹羽織りなども、頭の印でなく、組々の印をつければ、費用が節約できる。
このことについては御持の堀帯刀組の与力の内にこの趣旨をよく弁えているのがいるよし。

一、中山下野守直彰 なおあきら 弓の8番手の組頭 77歳 500石)組の与力2人を長谷川平蔵の組の与力2人と交換したよし。
中山組ではもってのほかと立腹し、勝手なことをするといっているよし。相対の交換なので上へ届ける必要もなく、悪い前例をつくってしまったとも、申しているよし。

一、長谷川平蔵は何年来ずっと火盗改メを勤め、身上がことのほかあやしくなっている様子。町方でも、平蔵さまにはむごいこと、なんぞになられそうなものじゃ、あのままでは、今年は身代が行きつまって、首をくくって自殺するしかない、といっているよし。
  【ちゅうすけ注:】
  長谷川平蔵が足かけ8年間も火盗改メの長官をやることになっ
  た要因は、つぎの3つほどが推定できる。
  1.平蔵は田沼派とみなされていて、懲らしめの意味もあって、出
    費のはげしい火盗改メを免じなかった。
  2.父・宣雄の例もあり、次は遠国奉行---格からいって大坂町奉
    行か京都町奉行、あるいは奈良町奉行---に転出させるべき
    だが、性格的に上記の重職格の町奉行にふさわしくなかっ
    た。
  3.組下の与力・同心たちの中にまだ借財を清算していないもの
    があり、その者たちが火盗改メの役料をあてにしていたから。

  この謎を解くには、まだまだ要因を数えあげる必要がありそう。
  鬼平探求は、歴史知的ゲームとして終わらない。

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