相良史料館
田沼意次(おきつぐ)の老中失脚後、所領の相良城は、政敵・松平定信派によって、徹底的に棄却された。
その経緯は、
2006年12月4日[『甲子夜話」巻33-1]
2006年12月5日[田沼意知、刃傷後。その2]
2006年12月7日[相良城の請け取り]
2006年12月12日[さらに6万両の上納命令]
城はもちろん、家臣の居宅まで根こそぎ破壊され、用材は競りにかけて売却された。したがって、残っているのは、ニの丸の土塁と松樹だけである。
(相良城(中央)と城下町の図 誠心女子大蔵)
本丸の取り壊しを担当したのは、意次の三女を内室に迎え、僅かな歳月のうちに死去させた、横須賀藩主・西尾隠岐守忠移(ただゆき)である。
こんな真偽不明のエビソードが、まこととしやかに伝わっている。
思った以上の堅牢な造りに、隠岐守の配下の者が手を焼いていると、一人の老人が現れ、「魚網をかけて、滑車で引けば壊れる」と教えた。
そのとおりにやってみると、建物は苦もなく壊れた。
その老人が、江戸の大伝馬町の牢を、田沼意次の配慮で脱け出て、相良にかくまわれていた平賀源内だったというのである。
2007年3月12日[相良の平賀源内墓碑]
その本丸跡に建てられたのが、相良史料館(牧之原市相良275番地2)。
入館料210円。
(入館券 絵柄は、初入国した意次の領内遠望図)
史料館の外観は、リーフレット表紙の写真でご覧のように、相良城風。
館内には、田沼家ゆかりの品々や、田沼領となる前の本多家やその前の相良家の遺品などが陳列されている。
中でも、36歳で凶刃に斃れて、遺品が極めて少ない田沼意知の真筆は、珍重であろう。
(田沼家の七曜の紋をあしらった刀箱)
史料館の隣は、相良庁舎。横は、小・中学校と高校。
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コメント
村上元三さんの「田沼意次」に続いて、
平岩弓枝さんの「魚の棲む城」を再読しているところです。
今度、相良に行ってきます。
投稿: ぴーせん | 2007.11.10 12:54