与詩(よし)を迎えに(8)
(はて。あの男、〔荒神屋(こうじんや)〕の助太郎(すけたろう)ではないのか。京師の東のはずれの荒神口に太物(ふともの 木綿の着物)の店をだしているとかいっていたが、また、下ってきたのか?)
銕三郎(てつさぶろうが)が不審におもった男は、万能薬と評判の〔透頂香(とうちんこう)〕を商っている〔ういろう〕店の向いで、帳面になにやら書き込んでいる2人づれである。
ういろう屋 (『東海道名所図会』)
4年前に駿州・田中城や志太郡(したこおり)の小川(こがわ)への旅の途次、箱根の芦ノ湖畔で話しかけられ、沼津で別れた。
【参照】2007年7月14日~[〔荒神〕の助太郎] (1) (2) (3) (4)
その時の助太郎は一人旅だったが、こんどは、25,6歳の精悍な男づれである。
助太郎のほうは相変わらず、細身をたもっているが、そろそろ、40代の半ばのはず。
あのとき、いっしょだった老僕の太作(たさく)は、絵図面師かも---と見たが、当人は妻女と太物屋をやっているとはいっていた。余裕ができると、ほうぼうの風景を写生してまわるのと、大店の表がまえを写し描くのを趣味にしているとも、本人の口から聞いた。
声をかけるかどうか一瞬、迷ったが、〔ういろう〕店に出入する姿は認められるにきまっている。
こころを決めて、声をかけた。
「〔荒神屋〕の助太郎どのではありませぬか」
呼びかけられた助太郎は、瞬時、びくっとしたが、銕三郎を確認すると、たちまち、細い目を柔和な笑みに変えて、
「おや---長谷川さまでは---こんなところで---。ごりっぱな若衆におなりになっているので、咄嗟に、わが目を疑いました。お久しぶりでございます」
「京ではなかったのですか?」
「長谷川さまこそ、どうして小田原へ?」
「府中(静岡市)への途次です。助太郎どのはいずれへ?」
「これの母親の病気が重いということで---下総へ」
と連れの男を目で指し、
「あ、娘婿の彦次でございます。これ、ごあいさつしないか。お旗本の長谷川さまの若さまだ」
「彦次と申します。お初にお目にかかります」
「助太郎どのの四方山(よもやま)話しもお聞きしたいのですが、この店で〔透頂香(とうちんこう)〕を求めたら箱根越えです。先を急ぎますので---」
銕三郎はそういって、彦次の母親の分の〔透頂香(とうちんこう)〕も小さな包にしてもらって店の外へ出てみると、2人は消えていた。
東海道の大磯のほうを見やったが、その姿はなかった。
(相変わらずの速脚だなあ)
あきらめた銕三郎が、箱根口のほうへ去ると、〔ういろう〕店の向いの家の脇の猫道に潜んでいた2人がぬっと現れた。
「危ないところであった。彦次がうまく口うらを合わせてくれたので助かった」
「長谷川とかいいましたか、あの若侍さん?」
「そうだ。父ごは、小十人組の頭(かしら)といっていたから、のちのちには先手の組頭、そして、火盗改メだ」
「くわばら、くわばら」
〔荒神〕の助太郎は、まさか、銕三郎の父・平蔵宣雄(のぶお)が、火盗改メから京都・西町奉行として赴任してくることも、そのあと、銕三郎が火盗改メとなった〔鬼平〕に、娘の二代目〔荒神〕のお夏(なつ)が追われることになろうとは、このときは予想もしていない。
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コメント
〔荒神〕の助太郎に又めぐり会うなんてなんと深い縁でしょう。
助太郎自身は火盗改めになった銕三郎との実際の絡みはあったでしょうか、楽しみですね。
投稿: みやこのお豊 | 2007.12.28 12:57
まず、文庫巻23『炎の色』の年代を確認しましょう。(史実では、平蔵は文庫巻12あたりで歿していますが、そういう野暮は言わないでおいて)。
『炎の色』の年代は、続編『誘拐』のからみもあるので、平蔵の死(寛政7年 1795)の1年
以上前でなければなりません。
で、寛政5年(1793)と仮定します。平蔵48歳。
〔荒神〕の助太郎は、13年前に病死しています。ということは安永9年(1780)前後。
亡父・宣雄の京都町奉行在任は安永元年(1772)10月から翌年6月まで。
この期間中に、〔荒神〕が京都かその周辺で仕事をすれば、父の代理として平蔵が探索することになります。(この時期、おまさが〔〔荒神〕のお盗めを助(す)けていないことを願いましょう)。
ところで、お夏は『炎の色』で25歳前後。生まれたのは銕三郎が23歳前後のとき。京都時代に顔を合わせたとしても、お夏は5歳の幼女です。この子がレスビアンになって行く経過に興味があります。
投稿: ちゅうすけ | 2007.12.29 08:00