『田沼意次◎その虚実』(5)
相良の郷土史家・故・後藤一朗さん『田沼意次 ゆがめられた経世の政治家』(センチュリー・ブックス 1971.9.20)は、その後、同じ版元から、新書シリーズノ1冊『田沼意次◎その虚実』(1988.10.10)に衣替えし再刊行された。
(意知 をきとも の四男)意明(をきあき)以下四人の死後、意次(をきつぐ)の四男意正(をきまさ)が相続した。彼は田沼家全盛のころ、水野忠友(ただとも 出羽守 駿州・沼津藩主 老中 3万石)に養子に行っていた忠徳(ただのり)である。忠友は意次の引き立てによって出世し、老中にまでなったのに、田沼失脚と見るや自分に難がおよぶのをおそれ、この忠徳(離縁後、意正 をきまさ)を離縁帰籍させた。それが家にもどっていたのである。
意正には娘が一人(長男意留 をきとめ のほかに)あったが、彼女は文政九年(1826)柳生但馬守栄次郎(大和国柳生 1万石)の室になった。武術万能のそのころ、将軍家指南番柳生家へ正室として迎えられたくらいだから、女流剣士として当代一流だったことは、まずまちがいないところであろう。意次以下田沼家の人々の武芸実力を語った文献はないが、この孫娘を見て、家風の様子がほぼうかがい知ることができよう。(略)
柳生家と聞いて、女武芸者を連想することをとやかくいうのではない。
池波ファンなら、田沼意次(をきつぐ)と女武芸者の文字からは、『剣客商売』のヒロイン・佐々木三冬を連想する。
三冬は、池波さんが直木賞を受賞した年の『別冊文藝春秋』に発表した[妙音記]の佐々木留伊(るい)の再来であることも、ファンなら承知している。
しかし、『剣客商売』が『小説新潮』で連載が始まったのは、1972年新年号からと書くと、改めて『田沼意次 ゆがめられた---』の刊行年へ目をやるのではなかろうか。
---連載開始の前年の、1971年9月。
もちろん、若い女武芸者と老齢の剣客---秋山小兵衛をからませた『剣客商売』の構想は、もっと早くから練られていたろう。、『小説新潮』の編集部には、予告もされていたろうし、資料もそれなりに集められていたろう。
が、しかし、『田沼意次 ゆがめられた---』が発想の一つの引き金になったと考えても、的はずれとはいえないのではなかろうか。
いや、それよりも、『田沼意次 ゆがめられた---』によって、意次像が、池波さんの中ではじけたというほうが、より正確かも知れない。
平岩弓枝さんが『田沼意次 ゆがめられた---』に触発されて『魚の棲む城』の田沼意次を造形したように。
あるいは、すべてはぼくの妄想かも知れない。
しかし、意次と池波さんの接点の一つは、解けたといえるのではあるまいか。『剣客商売』の5年前に始まった『鬼平犯科帳』における、賄賂取りの田沼像から脱却したことの説明もこれでつかないだろうか。
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コメント
意次の孫娘が柳生家に嫁いでいましたか!これはどう考えても三冬を連想してしまいますが。ロスタンの翻案と後藤さんの本が結びついたんでしょうか。
投稿: えむ | 2007.12.02 04:40
ロスタンの翻案は、ある程度前から腹案にあったんでしょうね。
それで、『オール讀物』の大当たりで遅れをとった大衆小説誌のご三家(一つは『オール讀物』)の『小説新潮』がおねだりして『剣客商売』の約束をとりつけ、『小説現代』(講談社)は『藤枝梅安』の予約をもらったのでしょう。
後藤一郎さんの本は、『小説新潮』の池波担当の編集者が、発売と同時に池波さんに届けていると推定しています。
投稿: ちゅうすけ | 2007.12.04 17:17