おまさ・少女時代(その3)
字を覚えたいといったおまさ(10歳)のために、銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)は、裏庭の納屋へ入り、14年前---6歳の6月6日から手習いを始めたころに使った、安物の今戸焼の硯(すずり)と文鎮、半紙下敷きなどを取り出した。
おまさに与えようとおもった。
(与詩は、もっと上品(じょうほん)のを与えられているなあ)
おまさがちょっと可哀相にもおもえた。
だから、擦り口が斜めにちびた墨は、新しいのを購うことにした。
受け取った硯を、おまさは、
「銕お兄(にい)さんのお下がりがいただけて、嬉しい。お兄さんのように上手になります」
素直によろこんで、海から丘にかけてを4本の指で、まるで銕三郎の掌をjまさぐっているように、しきりになでまわしたが---。
高杉道場の帰りに、一ッ目・相生町の〔竜雲堂・升屋〕四郎兵衛まで足を伸ばし、おまさの筆初(ふではじ)めの筆と墨、朱を入れる筆、朱墨を求めた。
(筆・硯・墨の〔升屋〕四郎兵衛 『江戸買物独案内』 1824刊)
品選びをしていると、おまさが実の妹のように、親しく感じられた。
お家流の運筆の銕三郎の手筋は、父・宣雄(のぶお 47歳)から受けついでいて、悪くはない。
素読が好きでないところは、父に似なかった。
おまさから頼まれたとりあえずの手本は、どこの手習い所でもするように、「いろはにほへと」の7文字としておいた。
〔盗人酒場〕の店内の飯台の一つが、店を開けるまでのおまさの文机となった。
おまさは昼前から、飯台をなんども水拭きして清めていた。
袖に墨がつかないように、おまさは襷(たすき)がけで臨んだ。
銕三郎は、うしろにまわって、背中に胸がつくほどに身を寄せ、筆を持っているおまさの手に竹刀だこで硬くなっている指をそえ、筆運びのコツをじかに教えた。
銕三郎の掌の硬い感触を微妙に感じたおまさの首筋が紅潮している。
「腕から力を抜いて、もっと軽く動かすのです」
そういわれても、おまさは、下腹が熱くなり、肩から腕へかけて緊張しきっている。
初めての習字だからとおもおうとしてみた。
緊張は解けなかった。
躰の芯から湧いてきた熱気は、そえられていた銕お兄(にい)さんの手のせいだとおもいあたったのは、その晩、寝についてからだった。
右の手の甲に、左手をそえてみた。
あげまき結びの髪に、お兄さんの息を感じたことも、ここちよい記憶の一つだった。
それらは、むすめとして成熟していくための特効薬のようにもおもえた。
いろは四十七文字は、7日たらずで書けるようになった。
3日目から、銕三郎は手を添えなくなり、おまさは、うらめしかった。
「もう、コツはつかんだでしょうから、自分でやりなさい。いつまでも甘えていては、上達しませぬ」
上達よりも、おまさは接触していたかった。
最初に教えてほしいと頼んだ漢字は、
「鮑(あわび)」
「お父(と)っつぁんの得意料理だから---」
口ではそう言ったものの、こころのうちでおもっていたのは、〔あわびの片おもい〕という俗諺であった。
銕三郎は気がつかないふりをつづける。
つぎに望んだ漢字は、
「鶴(つる)」
父・忠助の綽名(あだな)だと言った。躰つきが鶴のようにひょろりと細くて高いからと、みんなは納得している。
「でも、ほんとうは違うんです。お父っつぁんは、鶴に似て、めったに口を利きません。でも、歌はとっていい声なんです。だから、鶴と書いて〔たずがね〕と読むんです---鶴(たず)の音(ね)」
忠助からは、入れこむ気質は母親ゆずりだから、自分でほどほどに抑えるようにと、くどいほど言われているし、幕臣の嫡男さまと呑み屋のむすめでは身分が違いすぎるとも言いきかされているから、嫁とか側室とかを考えているのではない。
人柄に触れていればいい---と、自分に言い聞かせている。
おまさ が書ける漢字があった。
「酒々井(しすい)」
「酒」は店名の〔盗人酒屋〕からおぼえたという。
「酒々井は、お父っつぁんとおっ母(か)さんの生まれた村なんです。下総(しもうさ 千葉県)の佐倉の城下のすぐ東と聞いてます。まさは行ったことはないのですが---。隣家同士で、おっ母さんは、本郷の紙とか茶葉とかを手びろくあつかっているお店に奉公していて、お父っつぁんとばったり再会して所帯をもったんですって。酒々井には、両方の家の伯父叔母や従兄弟やはとこもいるので、いちど行ってみようとおもっています。とりわけ、おっ母さんの血すじの家に---」
(赤○=酒々井村 黄=佐倉城下町 明治20年刊)
しゃべってしまってから、
「あたしのおしゃべりは、おっ母さんゆずりだって、いつもお父っつぁんが言うんですよ」
肩をすくめて笑った目の艶っぽさは、一人前のむすめのそれだ---と、銕三郎はおもった。
やがて、銕三郎は、手本をわたすだけで、立ち会わなくなった。
ある晩、銕三郎は、〔盗人酒屋〕のまわり5丁四方の地図を切絵図から写しとった。
それには、おまさがふだん買い物の用足しに行ったり客との会話に出たりする町名はもとより、川や橋、寺院や亀戸天神社なども含まれていた。
お紺おばさんの長屋のある清水裏町も入っている。
わたす時、銕三郎は言った。
「漢字で書かれている町や川などに、覚えたひらがなでふりがなをふりなさい。そうすれば、自然に漢字を覚えるでしょう」
さらに、漢字が偏(へん)と旁(つくり)でできていること、偏は木とかさんずいとか火とか土とか魚であるから、漢字が示しているもののおおよその種類がのみこめること、旁はそのものの意味を暗示しているとおもえばよい、と自習の仕方を教えた。
おまさは、うなづいたものの、銕お兄さんといっしょにいる時間がなくなることをおもうと、泣きだしたかった。
銕三郎に、お目見(めみえ)の予審の日がきていることは、おまさは知らなかったのである。
銕三郎も告げなかった。
【参照】[おまさ・少女時代] (1) (2)
2005年3月3日[テレビ化で生まれたおまさと密偵]
【参考】 酒々井町Wikipedia
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コメント
〔鶴(たずがね)〕の忠助とその亡妻の故郷を「酒々井(しすい)」にしたのは、忠助がやっていた〔盗人(ぬすっと)酒屋〕の「酒」の字をおまさが読み書きできるというふうにしたかったことが一つ。
さらに、おまさは、7つになるむすめを佐倉在の縁者にあずけて密偵になっている。佐倉在の酒々井の「酒」という字を、幼い時に亡母から教わっていたという設定にしたかったからである。
父・忠助の遺髪も酒々井の墓へ納めた。
投稿: ちゅうすけ | 2008.05.08 12:42