〔お勝(かつ)〕というおんな(2)
不忍池(しのばずのいけ)の南岸---池之端町には、「松」の字のつく出合茶屋は〔松ノ家(まつのや)〕しかなかった。
火盗改メの本多采女紀品(のりただ )組の廻り方同心・今井金治郎(きんじろう 25歳)が、
「偽りを申すとためにならぬぞ」
おどしても、〔松ノ家〕のでっぷりと肥えた女将・お吉(きち 48歳)は、
「いいえ。おんな同士のお客さまを、おあげしたことはございませんです」
こういう商売を20年もつづけていると、たいていのことにはびくともしない。
(明治40年ごろの池之端の出合茶屋のなごり。『風俗画報』下谷区之部1から部分)
「お役人さま。弁天島の〔松の実(まつのみ)〕さんのお間違いではございませんか?」
「弁天島にも、出合茶屋があったのか?」
「茶屋と申しましても、料理茶屋でございますが、ときどきは、おまんま刻(どき)をはずすと、部屋貸しもするようでございますよ」
弁天島は、上野の山の花園稲荷社の下からの土手の先端に弁財天社があるので、その名がある。
(不忍池の弁天島 『江戸名所図会』部分 塗り絵師:ちゅうすけ)
「料理屋が2、3軒あることはしっていたが---」
今井同心は、首をかしげかしげ、銕三郎(てつさふろう 23歳 のちの鬼平)を誘(いざな)った。
〔松ノ実〕の亭主・与兵衛(よへえ 55歳)は、はじめは白(しら)をきっていたが、銕三郎が、それでは、弁天社の神職同道で火盗改メの役宅へ召還するしかないな---というと、途端に態度を変え、
「あ。思い出しましたでございます」
半年ほど前に、26,7のおんな同士の客に部屋を貸したと打ち明けた。
住まいと名を控えておるかと訊くと、
「なにしろ、1刻(2時間)ばかりのことでございますれば---」
「偽りを申すでない。その者たちが来たのは、料理の客が退(ひ)いた五ッ半(午後9時)すぎで、泊まったのであろうが」
「えーと、はい。そのとおりいでございます」
「ご亭主。そなた、隣の部屋で睦言(むつごと)を盗み聞いたであろう」
「とんでもございません。お客さまのことを盗み聞くなど---」
「ご亭主。これは、町方の隠し売女(ばいた)の調べではないのだ。盗賊改めの聞きこみである。わかっておろう?」
「申しわけございません」
「何を聞いた?」
「こんどからは、今戸のなんとやらいう元締の妾宅で会えることになりそうだ---とか」
「ふむ」
「美濃、日野のお菓子屋が、、赤坂に、また一軒できたとか、なんとか---」
「みのひのおかしやが、赤坂に---」
(〔蓑火〕のお頭が、(中山道)赤坂に安旅籠をまた一軒---)
「よう聞いておいてくれた。礼を言う」
「火盗改メのお役宅へのお呼びだしはご赦免ということに---?」
「うむ。今後とも、怪しい客の話を漏れ聞いておいてくれればな」
銕三郎は、今井同心を上野・山下の茶店へ誘い、酒を頼んだ。
「長谷川さまは、今戸のなんとやらも、美濃、日野のお菓子屋---もお分かりになったのですか?」
「今戸のほうは、よくはわかりませぬが、美濃、日野のお菓子屋は、〔蓑火(みのひ)〕が、美濃の赤坂宿に安旅籠を、また、一軒増やしたのだと分かりました」
「〔蓑火〕は、喜之助(きのすけ)?」
「たぶん」
「どうして安旅籠を?」
「書留役の加藤半之丞(はんのじょう 30歳)どのにお尋ねください」
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