隣家・松田彦兵衛貞居(9)
「3夜つづきで、〔伊勢屋〕という屋号の店ばかりに警告予告を投げ入れた真意は?}
銕三郎(てつさぶろう 24歳)がつぶやいた。
火盗改メ方の本役の役宅、隣家・松田彦兵衛貞居(さだすえ 62歳 1150石)の組の筆頭与力・土方万之助(まんのすけ 50歳)から示された投げ文をおもいだしてみたのである。
押し入る---と告げられた店は、
23日が、浅草諏訪町の紙問屋・伊勢屋伝兵衛方。
24日が、本郷2丁目の結納物所・伊勢屋市兵衛方
25日が、上野新黒門町の乾物問屋・伊勢屋善兵衛方
(それぞれ実在した店だが、池波さんに習い1字変えてある。
ご子孫が現存なさっていては失礼だから。『江戸買物独案内〕)
ところも、
・浅草諏訪町
・本郷2丁目
・上野新黒門町
と、ばらばらなら、業種も、
・紙問屋
・結納物所
・乾物問屋
と、こちらもつながりが匂わない。
共通しているのは、〔伊勢屋〕という屋号のみである。
とはいえ、
江戸名物 伊勢屋 稲荷に 犬の糞
との「い」の字づくし川柳がからかっているように、〔伊勢屋〕を名乗っている商店は、江戸にはそれこそ、1町内に2,3軒ではきかない。
808町だと、2,424店。まあ、名ざされた大店(おおだな)だけでも300軒はくだるまい。
【ちゅうすけ注】余談だが、20年以上も前、ちゅうすけは3年ほどかけて、朝のさんぽをかね、23区内の稲荷社を探索したことがあった。2000社ほどをリスト化して専用ワープロに打ち込んだ。このうち、1000社は、江戸時代からつづいて鎮座しているものであった。もちろん、武家屋敷内にあって維新後、町内に寄進されたり、屋敷地を買った家に引き継がれたものも少なくなかった。
手元の紙に、あらためて、
・浅草諏訪町
・本郷2丁目
・上野新黒門町
と記し、江戸の大地図と見くらべた。
(文政大江戸図・部分 山下和正『地図で読む江戸時代』より
青〇は上から本郷2丁目、新黒門町、諏訪町)
「おかしい」
火事の多い冬場の助役(すけやく)がいるときの火盗改メ本役の管轄範囲は、日本橋から北になる。
しかし、いまは晩夏だから、日本橋以南を警備担当する助役は発令されていない。
【ちゅうすけ注】この年(明和6年)、火盗改メの助役・菅沼摂津守虎常(とらつね 55歳 700石 先手・弓の4番手組頭)が任についたのは9月25日であった。
ところが、予告された3店は、日本橋川の北に、たて1列に並んでいる。
ということは、地図上で任意に選んだとしかおもえない。
「ねらいは---?」
目くらましだとすると、なんのために?
反対方向---日本橋から南の地区、日本橋通りか、京橋、銀座の店に押しこむつもりではないのか。
それにしても、的がひろすぎる。
もうすこし、的をしぼることはできないのか。
それも、この2、3日のうちに。
三好町の茶店{小浪〕を見張ったとして、さて、都合よく〔尻毛(しりげ)〕の長吉(ちょうきち 27歳 のちの長右衛門)や〔駒屋(こまや)〕の万吉(まんきち 35歳前後)があらわれるか。
あらわれたとして、狙う店へ連絡(つなぎ)に行くか?
〔小浪〕を昼夜見張るには、4、5人必要だが、そんな手くばりはとてもできない。
高杉道場へ稽古へきいるのは旗本の子弟がほとんどだから、尾行などには馴れていない。
居酒屋〔須賀〕の〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち)には夜の店がある。
さしあたりは、彦十(ひこじゅう)一人だが---。
〔耳(みみ)より〕の紋次(もんじ 26歳)を使う手はどうだ。
「これから10日のあいだの夜。
火盗改メが捕り物を演じる
---網を張っているのは日本橋のまわり---
先手組、書院番組、御小姓組も手ぐすね」
といった内容の読み売りを刷らせるのはどうか?
あるいは---
「〔伊勢屋〕を狙う盗賊〔蓑火〕一味
300軒の〔伊勢屋〕まわりに
先手組、書院番組、御小姓組が一斉に張り込み」
いや、だめだ。
賊たちは、紋次を生かしてはおくまい。
【参考】2009年2月17日~[隣家・松田彦兵衛貞居] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
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