〔高畑(たかばたけ)〕の勘助(5)
〔盗人酒屋〕へ帰りつくまで、久栄(ひさえ 17歳)は、もう、婚前の旅のことには、まるでこころにおもってもいないように、触れなかった。
しかし、敏感なおまさ(13歳)は、梅屋敷での久栄の問いかけから、おまさにとってみるととんでもない計画を、久栄が銕三郎(てつさぶろう 24歳)兄にもちかけていることを察してしまった。(清長 おまさのイメージ)
それで、帰路は、会話がはずまない。
久栄としてみれば、おまさに引導をわたしたつもりの問いかけでもあったわけである。
(手習い師範も、これまでだわ)
久栄は、こころの奥で、そう決めていた。
〔盗人酒場〕におまさが入ると、銕三郎はいつものように、和泉橋通りまで久栄を送るつもりで、竪川ぞいに西へ歩き始めた。
〔銕三郎さま。お願いがございます」
「---?」
「御厩(おうまや)河岸の〔小浪〕という茶店に、久栄をお連れくださいませ」
「〔小浪〕へ?」
「よく、いらっしゃっていますのでしょう。わたしもお仲間へお加えくださいませ」(清長 久栄のイメージ)
銕三郎は、内心、ぎょっとした。
女将の小浪(こなみ 30歳)とはそういう関係にはなっていない。
しかし、〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 30歳)との逢引きの場を借りたことがある。
【参照】2009年1月1日[明和6年(1769)の銕三郎] (1) (2) (3) (4) (5)
(久栄は、処女(おとめ)の勘で察しをつけたか。いや、そんなはずはない。察されるほど、頻繁には逢っていない)
三ッ目の橋のたもとの船宿から舟を仕立てた。
御厩河岸につくまで、久栄は黙りこくっている。
それが銕三郎を不安にしたが、自分から話しかけるのはひかえた。
舟着きについた。
銕三郎が先に降り、手を伸ばして久栄の下舟を助(す)ける。
久栄は、大仰によろめき、抱きついた。
その襟元から、久栄の躰の香りがふきでた。
かぐわしい処女(おとめ)のそれであった。
銕三郎は、離れるのが惜しかったが、引き離す。
小浪の視線を感じた。
小浪はさすがに世なれており、余計なことは口にしないで、
「いらっしゃいませ」
言ったきり、銕三郎との間合いをはかっている。
「こちらは---」
銕三郎のことばだけで、すべてを察し、
「お妹さまですか?」
とぼけた。(歌麿 小浪のイメージ)
「いや、嫁ごになってくださる---」
「おめでとうございます。挙式はいつでございましょう? あら、ご注文を承るのを忘れて---あたしとしたことが---」
「いつもの、お茶を---」
茶を2つ、腰掛けに置いて、
「小浪と申します。長谷川さまにご贔屓---というより、なにかとお教えをいただいております」
「久栄と申ます。ふつつか者ですが、よろしくお見知りおきください」
さすがに武家のむすめである、あいさつに無駄がない。
「夜は、何刻(なんどき)までお仕事でございますか?」
「終わりの渡し舟が帰ってくる、六ッ半(午後7時)に仕舞いますが、それほど遅くにお出ましでも?」
「いいえ。ただ、お見かけしたところ、こちらには、お湯わかしの設備はあっても、お炊事のお竈(かまど)を見かけませぬので、別にお住まいがおありかと---」
「鋭いお見通しでございますこと。蔵前通りのむこうに、家を借りてございます。夕餉(ゆうげ)は、近くの老婆がつくってくれておりますのよ」
「はしたないことをお訊きしました。お許しください」
「長谷川さま。久栄さまは、いい奥方におなりになりますわ」
(おれにとっては、それどころではない。いまからこれでは、ほかのおなごに目もくれられなくなりそうだ)
「立ち入ったことを尋ねてよろしいかな?」
「なんでございましょう?」
「〔木賊(とくさ)〕のお頭がお住まいほうへ見えたときの、酒の肴は?」
「前もって、使いがきますから、そのときは、老婆へも使いに走ってもらいます」
「なるほど---」
これで久栄は、2人が怪しいかかわりをもっていないことを納得したか、席を立ちかけた。
それを手で制した銕三郎が、
「小浪どの。〔傘山(かさやま)〕の弥兵衛(やへえ 40がらみ)と申す盗人(つとめにん)のことを、なにかご存じではなかろうか?」
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