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2009.03.17

久栄のおめでた(3)

一の鳥居の手前で、久栄(ひさえ 17歳)が駕籠を降りた。
片手で腹をおさえながら、もう一方の手を横へのばして伸びをする。

そのあいだ、銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、〔橘屋〕の知った顔の座敷女中に出会わないかと、あたりに気くばりながら、
「ややに、変わりはないか?」
久栄へ、いたわりの言葉をかけることを忘れない。
母・(たえ 44歳)から、動揺と冷えがお腹(なか)の赤ん坊によくないと、きつくいましめられたのである。

参道の欅は、早くも、半分ちかくの葉が色を変えはじめていた。
旬日のうちに、参道ぞいの酒肉店(りょうりや)は、大量の落ち葉の掃除に、毎朝、おわれるであろう。

鬼子母神(きしもじん)は、子授け、安産、子育ての功徳がいわれているインドの女神である。
この女神から生まれたのが、美と繁栄の吉祥天(きっしょうてん)といわている。
その下を行き来している参詣者は、さすがに女性が多い。

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(鬼子母神と法明寺(右上方) 『江戸名所図会』
塗り絵師:ちゅうすけ)

参道の右側には、茶店や食べ物屋が軒をつらねている。
10月8日13日までの会式(えしき)には、こんな人出ではすまない。
堂内には、大がかりな機械(からくり)を仕掛けて人寄せをし、そのさまは、

 群集して、稲麻のごとし。

とものの本に書かれている。

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(10月の会式 『江戸名所図会』塗り絵師:ちゅうすけ)

鬼子母神を祀っているのは、日蓮宗の寺院が多い。
雑司ヶ谷の鬼子母神堂も、日蓮宗の法明寺の子院である。
住職は、ふだんは、法明寺に住持している。

しかし、町飛脚便で銕三郎・久栄の参詣をこころえた〔橘屋〕忠兵衛が、法明寺へ布施したとみえて、寺僧が待っていた。
身の丈5寸ほどの本尊の前で安産祈願の経をあげた。
銕三郎には、

 「もし、人、天の中に生まれれば、勝妙の楽を浮け、もし、仏前にあらば、蓮華のなかに化生せん」

という箇所だけが聞きとれた。

ついてに記しておくと、長谷川家の香華寺・戒行寺も日蓮宗である。
戒行寺の本山は、身延の久遠寺と、ものの本にある。

座敷で茶をすすめられた。
境内の樹齢500年以上という子授け銀杏(いちょう)の太幹を、深夜、人目をさけて抱き、題目をとなえると子がさずかるとの奇縁を話したあと、寺僧は、
「奥方さまは、すでにお子が授かっておられますから---」
と笑った。

_100退去ぎわに寺僧は、お守りを久栄に渡し、帯締にでもさげておくようにとの言葉をそえた。
写真のお守りは、いまのものであるが、鬼子母神の「鬼」の字を形づくっている上の「田」に角(つの)のようについている「ノ」がない。
「仏に角はございませぬ」
と、いまの法明寺の住持・近江師に教わった。

ただ、都内にのこっている唯一の市電の駅「鬼子母神」は「鬼」の字のままである。
切符の印刷など、すべてから「ノ」を取り去るには、億という額を要するゆえ、手つかずのままのこしてあるとも。

一の鳥居の編額からは「ノ」が除かれている。

参照】〔〔白峰(しらみね)〕の太四郎の項
〔掘切(ほりきり)〕の次郎助の項

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コメント

雑司が谷の鬼子母神さんの鬼に、「ノ」の角がないなんて、初めて知りました。
全国の鬼子母神さんの鬼の字は堂なんでしょう?
知りたいところです。

投稿: tomo | 2009.03.18 09:34

>tomo さん
いいところにお目をとめていただきました。
多くの鬼平ファンの方もお知りになりたいところでしょう。
この機会に、お近くの鬼子母神さんの鬼をおたしかめになり、書き込んでいただきましょう。
それはそうと、鬼平の「鬼」の「ノ」は、あるべきか、ないほうがいいか、これも書き込んでいただきましょうか。

投稿: ちゅうすけ | 2009.03.18 10:12

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