〔風速(かざはや)〕の権七の口入れ稼業(4)
〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 37歳)の口入れ稼業は、とんでもないことから繁盛するようになった。
師走も半ばをすぎた雪もよいの晩、浅田剛二郎(ごうじろう 31歳)が用心棒にはいっていた、浅草田原町(たはらまち)の質商〔鳩屋〕長兵衛(ちょうべえ 62歳)方に盗賊が押し入ったのである。
塀を乗りこえた数人が、寝所の雨戸をはずして侵入、寝所の長兵衛夫妻を抜き身でおどし、金蔵の鍵を要求したとのである。
物音をききつけた浅田浪人がしのび寄り、見張りの賊2人を太刀の鞘尻で急所を突いて眠らせ、2人がくずれ倒れる音に寝所からのぞいた賊も首筋を鞘で打たれてのびた。
太刀を抜いてその隙間から寝所へおどりこんだ剛次郎は、夫妻をおどしている2人をあっというまに棟撃ちで倒してしまった。
すべての処置は、5呼吸ほどのあいだに片づいていた。
銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、読みうり屋の〔耳より〕の紋次(もんじ 26歳)を、浅田浪人と今助(いますけ 22歳)に引きあわせて一枚ものに記事を書かせた。
紋次はちゃっかり、〔鳩屋質店〕と隣家の太物の〔上州屋〕の広告もせしめていた。
その読み売りによって、浅草広小路から上野広小路へかけての大店(おおだな)から、今助に引き合いがあいつぎはじめ、用心棒になりたがっている浪人も、口を求めて〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう)の女房・お蝶(ちょう 52歳)がやっている料亭〔銀波亭〕の門をくぐったのである。
銕三郎は、父・宣雄(のぶお 51歳)から、人生訓や人との付きあい方など、多くのものを学んでいるが、ひとつだけ、違ったところがあった。
宣雄は、
人の己を知らざるを患(うれ)えず。人を知らざるを患うるなり。(『論語学而編』)
(人が自分を知らないことは困ったことではない。自分が人を知らないことこそ困ったことなのだ。宮崎市定 『現代語訳・論語』 岩波現代文庫)
この教えを体(たい)してい、自分を売りこむということをしたがらない。
認められるのをじっと待っている。
銕三郎は、この点については、こころがまえがちがう。
人に知られていないものは、あっても、無いに等しい。
知ってもらう工夫をべきである。
それだけ商品社会に生きていたといえようか。
読みうり屋の〔耳より〕の紋次との相互扶助的なつき付きあいも、その一つである。
浪人たちの腕のほどは、もちろん、岸井左馬之助(さまのすけ 24歳)と井関録之助(ろくのすけ 20歳)が試合ってたしかめた。
腕ききは10人に3人いればいいほうであったが、それでも左馬之助と録之助には鑑定料が合格した1人につき1両(約16万円)ずつ入るのだから、いい小遣いかせぎになった。
左馬之助などは、
「銕(てつ)さんお蔭で、毎晩でも〔五鉄〕の軍鶏なべが食えるというものだ」
「左馬さくん。いいことは長つづきはしない。ぜいたくしないで、貯めておくことだ」
銕三郎の忠告を聞く耳もたぬとばかりに、本所・入江町の鐘楼下の娼家〔みよし〕の梢(こずえ)とかいう18歳の娼婦(こ)に熱中している。
潤ったのは、左馬之助と録之助、それに、浪人たちの身元請けの謝礼がたんまりと入った〔風速〕の権七。
が、権七は、その金をしっかりと貯めこんでいた。
あるとき、銕三郎が、ほかの話にまぎらしてそのことを問うと、
「駕籠屋の株を買う資金に---と思いやしてね。お須賀にいつまでも居酒屋の女将をやらしておくわけにはいきません。駕籠かき人足は、箱根からいくらでも連れてこれます」
「なるほど、屋号としての〔風速〕は、居酒屋よりも駕籠やのほうにぴったりだ」
銕三郎は、〔耳より〕の紋次にも訊いた。
「〔鳩屋〕の事件のうわさは、どれくらいのあいだ、効き目があるとおもうかね?」
「〔人のうわさも75日〕---っていわれているとおり、2ヶ月半ってところでしょうかね。でも、大店が用心棒を雇っておくと、いざってときに役にたった---ってのは、じかに金子にむすびついてやすから、これは、半年はもちやしょう」
「利にまつわる事件は、色ごとの事件より長持ちするってことだね」
「命の次に大切な金子(かね)---っていいやすから」
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