ちゅうすけのひとり言(33)
朝日カルチャーセンター(新宿)の{鬼平クラス]は10年間つづいた。
2年前に体調をくずし、閉講に。
受講生の方々とは、いまも文通がある。
その中のお一人---ハンドル・ネーム〔くまごろう〕さんは、中山道を完歩し、その記録は、別のブログ[『わたし彩(いろ)の『江戸名所図会』]に部分的に転載させていただいている。
その〔くまごろう〕さんから、最近、また、『鬼平犯科帳』を読み返し、「第3巻まで一気に読了しました。新鮮でした。痛快でした。恐れ多いことながら、池波さんの小説の構想力、筋立てに改めて瞠目しました。まさに最高のエンターテインメント小説だと思いました」
「読み返したのも[1-4 浅草御厩河岸]が9読目で最も多く、[3-6 むかしの男]が4読目で、その間に各篇の読んだ回数が散らばっていました」---ー〔くまごろう〕さんのように記録はとっていないけれど、ぼくも負けない程度には読みかえいているとおもう。
さて、〔くまごうさん〕のメールに、「[2-4 妖盗葵小僧]のラストに、
>粂八はあたまをかき、
「これだけはあいつらと同業の私ども四人でなれば出来ねえことで---」
照れながらも、めずらしく得意げに鼻をうごめかしたものである。<
と、ありますが、4人とは誰と誰なんだろう? と、疑問が湧きました」
たしかに、その篇までに登場した岩五郎と相模の彦十を入れても3人である。
〔くまごろう〕さんは、当ブログ[『鬼平犯科帳Who's Who]の事項細見もあたってみたとおっしゃっていた。
[『鬼平犯科帳Who's Who]の事項細見---当ブログの初期画面の左欄---カテゴリー、171文庫 第1巻~178文庫 第8巻までで中断してる採集事項のことである。
ちなみに、各篇に登場している密偵の項をピックアップすると、
[1―1 唖の十蔵]・天明7年(1787)の春から
◎密偵:---
[1―2 本所・桜屋敷]・天明8年(1788)年小正月
◎密偵:岩五郎 p49 新装p52
○相模の彦十(50をこえた)p65 新装p69
[1―3 血頭の丹兵衛]・天明8年(1788)年10月
◎密偵:---
[1―4 浅草・御厩河岸]・寛政元年の夏から秋
◎密偵・岩五郎 35.6歳 p123 新装p130
[1―5 老盗の夢]・寛政元(1789)年の初夏から暮
◎〔小房〕の粂八 鎌倉河岸で味噌おでんの屋台店
p162 新装p172
[1―6 暗剣白梅香]・寛政2年(1790)年初春
◎密偵:〔小房〕の粂八 p276 新装p292
◎密偵:〔相模〕の彦十 p277 新装p293
[1―7 座頭と猿]・寛政2年(1790)
◎密偵:---
[1―8 むかしの女]・寛政2年(1790)年晩夏
◎密偵:〔小房〕の粂八 p276 新装p292
◎密偵:〔相模無宿〕の彦十 p277 新装p293
[2―1 蛇の眼] 寛政3(1791)年の初夏
◎密偵:---
[2―2 谷中・いろは茶屋] 寛政3(1791)年晩夏
◎密偵:小房の粂八 p84 新装p89
[2―3 女掏摸お富]・寛政3年(1791)年の夏
◎密偵:---
[2―4 妖盗葵小僧]・寛政3年(1791)年初夏から
翌4年へ
◎密偵:小房の粂八 p123 新装p130
たしかに、ご指摘のとおりなので、[2-4 妖盗葵小僧]を読みかえしてみたら、採集洩れがあった。
◎密偵:名なしの別の密偵 p190 新装p200
〔小房〕の粂八には、「鬼平直属の密偵」とある。p123 新装p130
ということは、池波さんの頭の中では、佐嶋筆頭与力やほかの与力・同心が使っている名なしの密偵が数人いるということであろう。
粂八のほかの3人は、その夜、動員された彼たちのことと判断したのだが---。
| 固定リンク
「200ちゅうすけのひとり言」カテゴリの記事
- ちゅうすけのひとり言(95)(2012.06.17)
- ちゅうすけのひとり言(94)(2012.05.08)
- ちゅうすけのひとり言(88)(2012.03.27)
- ちゅうすけのひとり言(90)(2012.03.29)
- ちゅうすけのひとり言(91) (2012.03.30)
コメント